レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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KR250/KR350 Kawasaki
に1975年オンタリオの写真を追加しました。この写真です。
「17」の「1」の少し上に黒っぽく見えているのが、後排気管の排気口です。
KR250/KR350 Kawasaki
取り合えず1975年までの記事を書きました。以前、ブログにいろいろ記事を書いていたので、いつかはきちんとまとめたいと思っていましたが、やっと着手しました。
今回の記事については、この本
LEAN, MEAN AND LIME GREEN
が大変参考になりました。
私が購入したのは1ドル=110円の頃でしたので、今よりは安かったです。なお、購入当時はAmazonで取り扱っていなかったので、別ルートで BRG Multimediaから直接入手しました。
前編・後編の2冊となるとかなり高価ですが、それだけの価値はあると思います(主観)。
以前、ブログに書いていた記事をまとめたりしてKR250/KR350の記事を書いています。
KR250の開発について、RACERS Vol.42(三栄書房2017)ではKR250の開発は1974年10月に決定されたとしています。
しかし、KR250開発計画は1973年にスタートしています。カワサキの吉田和人によると、最初は並列2気筒リードバルブを構想していたが、上司の指示でロータリーバルブで行くことになり、幾つかのシリンダーレイアウトを検討した上でタンデム2気筒になりました。
タンデム2気筒で進めることになったのは1973年10月頃のようです。KMC(カワサキのアメリカ現地法人)のレース部門の監督・エンジニアだったランディ・ホールによると、同年11月頃の打合せの際にタンデム2気筒のレイアウトを提示されたとのことです。
さて、当時、AMA(アメリカ)のレースに出場するためには200台以上の生産が必要でしたから、計画は200台生産が前提でした。200台生産ですから、その大半を市販することになります。
しかし、カワサキはKR250だけでなくKR750の開発も進めており、両車を各200台以上生産し、1975年3月のデイトナ200マイル出場(250は200マイルの前日の100マイルレース)のは、カワサキにとって大事業で、間に合うかどうか微妙なところでした。
ところが1974年10月に台数基準が200→25台になり、計画実現可能性が高まったのです。RACERSの記事の「1974年10月」はこの時期です。
雑学に
KR250の慣性力の釣合
を追加しました。
1975年に登場したカワサキKR250が180度間隔点火で振動問題を生じ、同時点火にして解決したことが知られていますが、なぜ、カワサキが180度間隔点火を当初採用したのかについて推測したものです。