レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
JFRMCブログ 1978年鈴鹿8時間耐久レースに出場したKR350 (tou3.com)
で書いたように、1978年鈴鹿8時間耐久レースのために2台のマシンを製作したようです。ただ、2台のマシンが鈴鹿に持ち込まれたかどうかは確信が持てません。フェアリングの横のライダー名(wada、kiyo)、メカニック名(awai、kato)の字体が異なるものがありますが、フェアリングを交換した可能性もあります。ゼッケン18ではなく18Tを確認できれば2台と分るのですが・・・
1978年8耐に持ち込まれたのが「2台」であることを前提に、これまで私が書いた(1980年以降に確認された)2台の8耐仕様KR350と、実際に1978年8耐に持ち込まれたKR350との関係を整理しました。想像が入っています。
プラクティスのみ用いられたマシン
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1978年の雑誌取材
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1980年シーズン前公表写真
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1983年雑誌取材・フジモーターミュージアム展示
-/601F-7807
レース出場マシン
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2006年カワサキワールド展示
-/601F7821
しかし、バックボーンとダウンチューブを結ぶプレートに穴が見えます。
そして、スイングアームピボット周辺の拡大写真。
スイングアームピボット上下の穴とステッププレートの穴もあることから、元8耐仕様車らしいと分ります。
このマシンは、1983年には下写真の状態になったと思われます。1983年に雑誌の取材に供されたKR350です。
赤矢印が示すバッテリー台、フレームのスイングアームピボット部上下の穴、バックボーンとダウンチューブを繋ぐプレートの穴、ステップレートの穴等から、元1978年8耐仕様車と分ります。
このマシンは1983年に開館したフジモーターミュージアムに展示された-/601F-7807ではないかと思います。
(続く)
カワサキワールドで開館(2006年)からリニューアル(2016)まで展示されたKR350。
-/601F7821(エンジン番号不明)
排気管は1978年型とは異なりサイレンサー別体ですし、外装は1982年のアントン・マング車のものです。
しかし、バッテリー台(黄矢印)があります。
もちろん、スイングアームピボット上下の穴(写真では上のみ写っています)、ステッププレートの穴、(写真は添付しませんが)バックボーンとダウンチューブを結ぶプレート上の2つの穴もあります。
このマシンのフレームは元1978年8耐仕様車です。
なお、このマシンのフェアリング左後下端に穴が開いて排気管が見えています。
1982年実戦でのマング車はこちら。
実戦でのマシンはフェアリングの穴の全域で排気管がはみ出ていますが、カワサキワールドのマシンではフェアリングの穴の後半分は排気管がはみ出ておらず、穴が排気管に対して大き過ぎます。
また、1982年のマングのKR350で用いられた排気サイレンサー(上写真が典型)と、カワサキワールドのマシンの排気サイレンサーは異なります。
上のマシンのフェアリングはこのマシン本来のものではありません。
(続く)
1978年鈴鹿8時間耐久レースの後、雑誌の特集記事のために取材に供されたKR350。
シフトペダルを踏みこむとシフトシャフトは時計回り(右回り)します。記事では鈴鹿での清原選手の走行写真もあり、このマシンのシフトパターンは清原仕様でしょう。
1978年筑波フェスティバルでの清原とカワサキKR350。
これもシフトペダルを踏みこむとシフトシャフトは時計廻り(右回り)します。
おそらく、清原選手は市販車(の試作車)のテストライダー経験が長かったため、1ダウン5アップのシフトパターンを好んだでしょう。ですから、上写真のシフトシャフトの動きは1ダウン5アップと思われます。
一方、1978年8耐でのKR350。
もう1台。
どちらもシフトペダルを踏みこむとシフトシャフトが反時計回り(左回り)しますので、1アップ5ダウン(いわゆるレーサーパターン)になります。
清原選手がこのパターンを積極的に選ぶとは考えにくく、清原選手と組んだ和田選手が1アップ5ダウンを好んだのでしょう。8時間で撮影されたマシンはいずれも和田仕様のパターンということになります 。
ペダルの上下どちらにもシフトロッドを装着できるので、ピットイン毎にパターンを変更することも可能ですが、他の写真からすると、清原選手は和田選手に合わせ1アップ5ダウンにしていました。