レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1960年代にスズキに乗り50㏄2回(63、64)、125㏄2回(63、65)世界チャンピオンになったライダーです。
1966年最終戦日本GPを最後に世界GPから引退したのですが、スズキ時代に彼のメカニックを務めたのが永田選さん(故人)です。
永田さんはスズキのGP撤退後の1968年7月にスズキを退社し永楽モータースを経営されたのですが、アンダーソンとの親交は続いていたようです。
アンダーソンは1991年に来日し筑波サーキットのレースに出場しましたが、
http://iom1960.com/other/anderson-1991.html(元スズキの中野さんのサイト)
レースの翌日にアンダーソンは永田さんと会ったようです。永田さんが持っていたアンダーソンのサイン入りジャンパー(ブルゾン)。
To Nagata San
From Your Good
Friend 24.11.91
Anchung
と書かれています。日付はレースの翌日です。
Anchungは「アンちゃん」です。アンダーソンがスズキチームの面々から「アンちゃん」と呼ばれていたことが中野さんのサイトに書かれています。
http://iom1960.com/other/anderson.html
アンダーソンの自伝にもAnchungと呼ばれていたことが書かれていたので、このブルゾンの文字はアンダーソンが書いたものです。
このジャンパーはアンダーソンと永田さんの深い関係を如実に表すものといえるでしょう。
RK67 SUZUKI (ganriki.net)
に写真を追加しました。
RK66
RK67
両エンジンのクランクケース後部の形状が異なることが分ります。
の記事を書いてから21年になりますが、こちら
青に聞け!!: スズキの50ccGPマシン用3気筒エンジンの写真が・・・ (aonikike.blogspot.com)
にRP68エンジンのきれいな写真があることがわかりました。故伊藤光夫(光男ではありません)さんが保有していたというエンジン、今はどこにあるのでしょうか?
記事を書かれた青池さん、私がバイクに興味を持った頃はモーターサイクリスト誌の編集部員で、特にトライアル関係の記事が印象深かった記憶です。青池さんは1973年の終わりか1974年の初めに内外出版に行ったのですが、ヤングマシン誌よりオートメカニック誌での印象が強かったですね。
記事に書かれれている「いわた厳」ですが、「いわたげん」だと思います。本名は神田頼樹ですが、既に亡くなられています。
ところで、RP68はある程度知られていますが、RP66はほとんど知られていないですね。青池さんの記事ではRP68が1967年日本GPのプラクティスを走ったかのように読み取れますが、実際に走ったのはRP66です。