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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

片山義美さん

 カーグラフィック今月号に片山義美さんの記事があります。四輪中心の記事ですが、二輪関係の記述もあります。

「~片山をスズキが放っておくはずがない。すぐにワークスチームに招き入れ、1966年からロードレース世界選手権(グランプリ)に送り出された。それから2年間、片山は50㏄クラスで快走し、4勝を挙げた。」

 4勝は50㏄3勝、125cc1勝です。
 世界GP初参戦は1964年日本GP125㏄で、海外の世界GPに初めて出場したのは1966年ではなく1965年です。
 出場レース数は50㏄より125㏄の方が多いです。


 片山さんの世界GP参戦レース(太字は3位以内)

50cc
1966年 オランダ、マン島、日本(優勝)
1967年 スペイン、ドイツ、フランス(優勝)、マン島、オランダ(優勝)ベルギー

125㏄
1964年 日本
1965年    マン島、オランダ、日本

1966年 オランダ、東ドイツ、チェコ、フィンランド、アルスター、日本
1967年 スペインドイツ(優勝)フランス、マン島、オランダ、東ドイツ、チェコ

250㏄
1965年 オランダ、ベルギー、日本

 1966年マン島125、1967年日本50、125は負傷欠場。
 50㏄の出場レース数が少ないのは、50㏄の開催レース数が少ないためです。

MotoGPの公式サイトで
https://www.motogp.com/ja/riders/yoshimi-katayama/029dae96-502a-40a7-8379-aa44514b90e2?tab=overview 

 片山さんの参戦レース数が
50㏄ 6 
125cc  9
250cc  2

となっているのはデタラメです。このサイトは間違いだらけなので注意が必要です。


 

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スズキレーサーエンジンのベンチテスト

前回、紹介したこのX
https://x.com/matoxley/status/1225331722029428737

にあるこの写真
https://x.com/matoxley/status/1225337919096815616/photo/1

ですが、TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008の72頁掲載写真の元の写真です。TEAM SUZUKIの写真は写真左右がトリミングされています。


 Xでは「Degner took this photo while at Suzuki in the winter of 1961/1962」となっています。

 一方、TEAM SUZUKIでは出典をDegnerではなく(Frank)Perrisとしています。また、このエンジンをRT63としていますので、撮影時期は(冬なら)winter of 1962/1963でしょう。

 撮影時期がwinter of 1961/1962なら写っているエンジンは

RM62 50㏄空冷単気筒・前方排気・右クラッチ
RT61 125㏄空冷単気筒・前方排気又は後方排気・右クラッチ
RV62 250㏄空冷2気筒・前方排気・右クラッチ

のはずですが、写っているエンジンは
空冷2気筒・後方排気・左クラッチですので、125㏄空冷2気筒のRT63またはRT64です。ですから撮影時期は(冬なら)1962/1963、または1963/1964です。「winter of 1961/1962」は誤りです。

 ただし、私にはこのエンジンがRT63なのかRT64なのか分りません。


※当時のスズキレーサーは左チェーンで、写真のエンジンも左チェーンですので、写真は裏焼ではありません。

 

スズキRT67Ⅱ

 1967年型スズキ125㏄2気筒にはRT67ⅡとRT67Ⅲがあり、両車はエンジンは基本的に共通ですがフレームが異なり、後者は前面投影面積が小さくなっていました。これに伴い排気管も共通ではなくなっていました。RT67Ⅱにはスチュアート・グレアム、RT67Ⅲには片山義美が乗りました。

 1968年に入りスズキがGP撤退を発表しますが、グレアム、ハンス・ゲオルク・アンシャイトにRT67Ⅱが貸与されました。そして、グレアムのRT67Ⅱを(おそらく1970年に)シーンが購入し、1970年最終戦スペインで2位入賞、1971年には3勝を挙げランキング2位となりました。
 なお、RT67Ⅱは10段変速ですが、1970年からのレギュレーションに合わせて6段変速に改造されていました。

 このマシンは一度シーンの手を離れましたが、シーンは再び買い戻し、シーンのコレクションになったのです。
https://kininarubikenews.com/archives/41648



 スズキの125㏄水冷2気筒は1966年型までは温度差循環(水ポンプはない)でしたが、RT67Ⅱエンジンでは水ポンプがクランクケース右後上面(変速機右後上面)に装着されましたので、映像から明らかにRT67Ⅱエンジンと分ります。

 水ポンプにRT67Ⅱの部品番号の一部が見えます。

~2 R01100と読めます。R01はRT67Ⅱの部品番号体系上の機種記号ですが、その次の1は何らかの変更が加えられたことを示すのでしょうか?


 素晴らしい歴史を持つこのマシンを1963年型とするジャーナリストがいるのは残念ですね。エンジンもフレームも全く異なるのですが。
https://x.com/matoxley/status/1225341626635055106





ヒュー・アンダーソン

Hugh Andersonは2020年にMotoGP殿堂入りしています。アンダーソンを紹介するMotoGP公式映像。

https://www.youtube.com/watch?v=ztOV4__Gniw


4秒    ゼッケン2はエルスント・デグナー

11秒 ゼッケン5はデグナー
20秒 ゼッケン2はデグナー
45秒 左端の人物はケント・アンダソンKent Andersson(スエーデンのライダー)
48秒 ゼッケン2はデグナー


 次に

https://www.motogp.com/ja/news/2020/01/16/158249

では「60年8月に北アイルランド・ベルファストの公道コースで開催された第6戦アルスターGPでデビューすると」とありますが、誤りです。

英語サイト

https://www.motogp.com/en/news/2022/10/06/hugh-anderson-becomes-a-motogp-legend/18214

では「Anderson made his first GP appearances in the 500cc and 350cc classes in 1960, taking a podium in the 350cc class」

とあり、これは正しい。アンダーソンの初GPは1960年第1戦フランスGP500㏄で、初表彰台がアルスターGP350㏄です。

スズキの社歌

こちら
lhttps://www.suzuki.co.jp/100th/history.html

によると、社歌の制定は1966年です。おそらく、この頃に社員に配られたソノシートの紙ケース。


 ソノシートには

〇鈴木自動車工業株式会社社歌(作詞 藤浦洸 作曲 古関裕而)
〇ツーストロークのトップ スズキの唄(作詞 伊藤アキラ、作曲 越部信義)

が収められていました。

 スズキが2ストローク車(二輪、四輪)しか製造していなかった頃です。この10年後に4ストロークのGS750、GS400が登場します。



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