1964、1965年の世界GP250㏄チャンピオンマシン・ヤマハRD56は1966年以降、各国の輸入元等に貸し出されレースに出場しました。市販レーサーとV型4気筒ファクトリーマシンRD05/RD05Aの間を埋めるマシンという位置づけでしょうか。
フィル・リードが優勝した1969年イタリアGP250㏄についてのオートバイ誌1969-10の記事では「~P・リードが、ツインのヤマハ旧型工場レーサーで久しぶりに登場~」とあります。これだけ読むと、リードのマシンは市販レーサーTD2ではなくファクトリーマシンRD56ということになります。
で、ヤマハのGP500勝記念サイトでもリードのマシンはRD56になっています(62勝目という位置づけ)。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories
マシン編の
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
でRD56が優勝した年に1966年があるのは1969年のつもりなのでしょう。RD56は1966年に勝っていません。ヤマハが1966年に250㏄で挙げた1勝はRD05によるものです。
1969年イタリアGP250㏄の画像をネットで探したのですが見つかりませんでした。でも燈台下暗し、私が持っている本にその写真がありました。左コーナーを走るリードを右斜め後方から写したもので、マシンは明らかに右チェーンのTD2(同時に写っているベネリ4気筒は左チェーンで正しく写っているので、ネガの裏焼きではない)。
そんな訳で、1969年イタリアGP250㏄で優勝したマシンはRD56ではなくTD2である可能性が高いと思います。
※「可能性」としたのは写真が予選のもので、レースでは別のマシンが用いられた可能性が否定できないからです。
ただ、件のサイトの他の誤りから推定できるライター氏の仕事ぶりからすると・・・
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