1975年に向け、F750のベースとなるマシンの由来が一般市販車に限られないことが明確になるとともに、その最小生産台数が25台となったことにより、ヤマハ以外の新型車の登場が期待されることになった。
それに応えたのがカワサキ。1974年までは一般市販車H2(750SS)のエンジンをベースにしたエンジンのH2R(2ストローク750㏄空冷並列3気筒ピストンバルブ)を走らせていたが、ボア×ストロークを71×63mmから68×68mmに見直し水冷化したようなKR750を25台製作し、1975年デイトナから走らせたのである。
スズキは、1975年は一般市販車GT750のエンジンをベースにしたエンジンのTR750(XR11、水冷並列3気筒ピストンバルブ)の改良型を走らせ、1976年に向け新型のXR20(RF750またはTR750R、水冷並列3気筒ピストンバルブ)を開発していたが、発表もされずに終わった。
当時、4ストローク一般市販二輪車を持たなかったスズキは、4ストローク一般市販二輪車の開発、量産化、市販、整備体制整備を進める必要があった。また、4輪でも2ストロークエンジンでの排ガス対策も進めていたが、1975年には排ガス対策に対応できないことが明らかになっており、4ストローク化を進める必要があった。
世界GP500㏄クラスですら1976年はイギリス輸入元のチームとしての参戦にならざるを得なかった当時の状況では、F750のための新型マシンを開発し、25台生産し、レース活動を行う余裕がスズキに無くなっていたことがXR20のお蔵入りの要因と思われる。
そして、新F750規定の恩恵を最も受けるはずだったのは、ノートン・チャレンジP86(4ストローク750㏄水冷並列2気筒)だろう。
(続く)
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