レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
この本は中沖満氏(故人)が「スポークホイール」(エヌ・エス出版)に連載していた記事を出版社がまとめ、それに出版社が写真、解説文を追加したものです。
という訳で、中沖氏の記事の誤り、勘違いもそのままですし、解説も誤りがありますので、私が某記事で書いた「昔も今も誰かが間違えれば皆間違えるし、さらに間違いを増幅していく」の典型本になっています。
例えば
143頁
「(1959年、マン島TTレース初出場前)ホンダはノートン・マンクスで~マン島TTを連続制覇した名手、ジェフ・デュークを丁重に招いて試乗してもらう」
とあります。デュークの来日は(1959年ではなく)1960年、モーターサイクル出版社(現・八重洲出版)の招きによるもので、デュークは各社を訪問しました。これは1960年4月にスズキを訪問し、1960年マン島TT出場予定マシンに跨っているところ(試乗もした)。デュークの後ろの皮つなぎ姿は伊藤光夫。
1960-TTレ-ス初出場 本文 (iom1960.com)
これはホンダの荒川テストコースを訪問した時のもので、1960年型250㏄(RC161)が写っている。
th_fH_09-HSC.jpg (1200×799) (mc-web.jp)
中沖氏の大元の記事はグランプリ・イラストレイテッド1987-10だと思われます。ホンダの社員ライダーで1960年にマン島TTレース等に出場した島崎貞夫氏(故人)へのインタビューをもとにしたもので、次のように書かれています(A~Cは私が分割したもの)
A マン島用の125㏄が完成したとき、ホンダはジェフ・デュークを丁重に荒川に招き、試乗とアドバイスを求め、それに対しデュークは、「まァいいだろう」と答えた
B 僅か1,500mの直線を朝から晩まで走ることで、マシーンとライダーを鍛え、それだけでマン島に行く、という無謀さに充分な社交辞令をもって答えながら(Cに続く)
C デュークは『1冊の教科書』を渡した。(島崎氏)「これがそうです。私の20代の宝物のひとつです」(日本語に訳したもの)
A、Bは1959年TTレース出場の前のように読めますが、Cは1960年TTレース出場前です。1959年のマン島TT125㏄はマウンテンコースでなくクリプスコースでしたし、島崎氏は1960年が初参戦なのですから、1960年出場前でないとマウンテンコースのガイドブックを読む意味がありません。
Cがなぜか中沖氏には1959年出場前のことになってしまい、A、Bを作文したのではないかと思われます。
また、私が マン島クリプスコース (ganriki.net) で書いた、イギリス人ジャーナリストによる「1959年、ホンダはマン島に行って初めてクリプスコースが用いられることを知った。デュークのマウンテンコースのガイド本で勉強していたのに」も、大元は中沖氏の記事の可能性があると思います。
前回紹介したホンダCB125SのRSCキット(1973)の最高出力20.8PS/12000rpm発揮時の正味平均有効圧は12.57kgf/cm2です。これは変速機出力軸での値ですので、変速機伝達効率0.95としてクランク軸に換算すると13.23kgf/cm2になります。
同様に1960年台のF1エンジン、F2エンジンについても計算してみます。出力の出典は「ホンダエンジン開発史(四ストロークサイクルエンジンの基礎確立まで)」(八木静夫)です。備考は本頁末をご覧ください。
270~272はクランクシャフト中央動力取出しで、RCレーサーと同様に動力が伝達されるのでクランクシャフトでの出力測定は困難なはず。このため動力伝達効率0.95で除した値も記載した。
273~301もクランクシャフト中央動力取出しですが、変速機は別構造なので動力取出し軸で出力測定されていたと思われます。
上表で分るように正味平均有効圧が年とともに増加していることが分ります。
備考
正味平均有効圧(bmep)は排気量当たりトルクと比例関係にあり、異なる排気量の性能比較の際に用いられます。関係式は次のとおり。
出力PS=排気量(L)×bmep(kgf/cm2)×回転数(rpm)/900
k005:1.5リッターV12気筒エンジン製作前にテスト用に製作された250㏄V型2気
270~301:RA270~RA301
300:RA300のエンジンはRA273E
303:RA300Eとしても知られているF2エンジン
546:RA302Eとしても知られているF2エンジン
機種名が2段あるのは開発過程で出力向上したもの
★:原典では222だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると220
▲:原典では9900だが、原典に記載された正味平均有効圧からすると9000