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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

富士モータースポーツミュージアムに展示されているホンダRC162

布垣 直昭/トヨタ博物館館長 on X: "天才ライダー️マイク… https://t.co/ukD8xl1q0M" / X (twitter.com)

「天才ライダー️マイク ヘイルウッド‥と聞いてピンとくる方は古参の2輪ファンですね~ロードレース世界選手権250ccクラスに参戦2年目にして、出場した10戦で全勝の快挙を遂げ、ライダーズとマニファクチャラーズの両タイトルを獲得した際の実車です」

 「出場した」の主語がホンダなら1961年は11戦10勝です。
 「出場した」の主語が
「ホンダRC162」なら、1961年は参戦1年目です。

 「ホンダによる250㏄参戦2年目にしてRC162が出場した~」

と書きたかったのでしょう。

 さて、

 Honda Collection Hall | コレクションサーチ (mobilityland.co.jp)

 ではヘイルウッドが5勝したとありますが4勝の誤りです。勝利数はヘイルウッド4、トム・フィリス2、ジム・レッドマン2、高橋1、マッキンタイヤ1の合計10です。
 第1戦でRC162は走らず、ギャリー・ホッキング(MVアグスタ2気筒)が勝ちRC161のフィリスが2位でした。


 で、展示されているマシン、フェアリングがヘイルウッドのマシンとは異なります。下のリンク先の写真は1961年マン島250㏄でヘイルウッドが優勝した時のwinners enclosureで、ゼッケン10がヘイルウッド(優勝)、ゼッケン15がフィリス(2位)ですが、2台のフェアリングの前ゼッケン部が異なるのが分ります。富士に展示されているマシンのフェアリングはフィリス仕様です。

Mike Hailwood and Tom Phillis (Honda) 1961 Lightweight TT (ttracepics.com)

 また、ヘイルウッドのRC162のフェアリング下部には下リンク先のようにT字型の孔が3つ開けられていました。マシン貸与を受けたヘイルウッドのチームで加工したものです。

Mike Hailwood (Honda) 1961 Lightweight TT For sale as Framed Prints, Photos, Wall Art and Photo Gifts (ttracepics.com)

 また、1961年当時のヘイルウッドは「左足ブレーキ、右足シフト」ですが、このマシンは「右足ブレーキ、左足シフト」です。


 この展示マシン、以前はゼッケン100を付けて「1961年西ドイツGP優勝車 No100 高橋国光」とされていたマシンのようです。


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ホンダ RC146-4RC146

1964年まで書いた

RC146-4RC146  HONDA (ganriki.net)

 ですが、3RC146についても加筆しました。想像ですのでそのまま信用しないでください。

 1965年、現存マシンについても必ず公開します。

 これは1980年ホンダモータースポーツ展に展示された4RC146。1980年7月25日撮影。






3RC146

1960年代のホンダ125㏄4気筒レーサーについては、

RC146→2RC146→4RC146

という流れが知られていますが、3RC146が欠けています。担当者の気まぐれで3RC146を飛ばして4RC146と名付けたのか、あるいは3RC146を開発したが実戦登場しなかったのか、実戦登場したが公表名が2RC146のままだったのか・・・

 こちら

1964 Honda RC146: resisting the two-stroke revolution | TABAC - Classic GP Assen (classicgp-assen.com)

の写真、近年撮影されたものですが、このマシンのエンジンは2RC146と4RC146の中間的な特徴があります。

〇前後カムシャフトケース端カバーの形状が四角形(4RC146Eと同じ)
〇後カムシャフトケース部端カバーのボルト数が2RC146E、4RC146Eと異なり3
〇カムシャフトケース部端カバーのボルト数3(4RC146Eと同じ)
〇シリンダーヘッドオイルパイプがシリンダーヘッドと別部品(4RC146Eと同じ)
〇シリンダー冷却フィン数7(4RC146Eと同じ)
〇クランクケース前端に排気管取付部あり(2RC146Eと同じ)
〇フラットバルブキャブレター(4RC146Eと同じ)

 このエンジンが3RC146Eなのでしょうか?
 それとも新造品?

現存するホンダ2RC146 1964年型125㏄4気筒



 2007年に撮影した写真です。この個体の略歴はよくわかりません。

 さて、ホンダの八木氏が書かれた資料ではこのマシンを8段変速としていますが、

 Honda Collection Hall | コレクションサーチ (mobilityland.co.jp)

 の解説では7段変速になっています。


 ただ、コレクションホールの解説は
「1964年マン島TTで1-3位を独占。全12戦9勝してマニュファクチャラーズタイトルを獲得」と、1964年に11戦中10戦に出場し7勝したホンダの戦績を誤るぐらいのレベルですし、八木氏の資料も誤りが散見されるので、悩ましいところです。
 
 それにしても1964年の125㏄世界選手権レース数とホンダ優勝数を間違える・・・どんな資料を見たら間違えることができるのか不思議なくらいです。

 なお、1964の各クラスを通じた世界選手権GP数は12ですが、今のように全GP全クラス開催ではなく、1964年ベルギーGPで125㏄レースは行われなかったので、ホンダ125㏄が出場可能だった世界選手権レース数は11です。

「12戦」という誤りはこれが原因かもしれませんが、優勝数を2つも間違えるのはどうかと思いますし、それが「世界のホンダ」関係のウェブサイトに掲載されているのです。

ホンダRC146-4RC146

RC146/2RC146/4RC146  HONDA (ganriki.net)
を1964年まで公開しました。1965年、現存するマシンは後日公開します。

 記事の中に出てくる1964年日本GPの写真。

 雑誌等では写真説明に書かれた撮影年が間違っていることがあります。例えばRACERS Volume 70の27頁では、1964年の写真に1965年の解説(しかも誤った解説)が添えられています。 

JFRMCブログ 公開校正 RACERS Volume 70(3) (tou3.com)

 しかし、この写真は1964年日本GP結果を伝える雑誌に掲載されたものなので、日本GPで撮影されたものに間違いありません。少なくとも1965年に撮影されたものではありません。


 それにも関わらず、エンジンが現存する4RC146E-405エンジン

とよく似ており、1964年東ドイツGPで撮影されたという写真のエンジン(下)とはかなり異なります。当時の雑誌記事にもシリンダーヘッド形状が変更されたことが書かれています。

 このため「4RC146は1965年第5戦マン島で登場した」という従来の記事には疑問符を付けざるをえません。

 このことが私の記事の基本になっています。



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