レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
参考 上記「37戦」について
1966年の開催レース数、ホンダ参戦レース数、ホンダ入賞数、ホンダ優勝は次のとおり。
クラス | 開催レース数 | ホンダ参戦数 | 入賞数 | 優勝数 |
50 | 6 | 5 | 5 | 3 |
125 | 10 | 9 | 9 | 5 |
250 | 12 | 11 | 10 | 10 |
350 | 10 | 8 | 6 | 6 |
500 | 9 | 9 | 6 | 5 |
合計 | 47 | 42 | 36 | 29 |
どこから「37戦」が出たのが考える。
「日本のレーシングモーターサイクルの歴史」(1973八重洲出版)では、レッドマンが転倒負傷したベルギーGPの次のレースについて「その結果第6戦の東ドイツGPのザクセンリンクサーキットにのコース上に現れたホンダは、RC149とRC166のみだった」とあり、ヘイルウッドが出場したのは250㏄のみと誤っている。この記事を引用する例が少なくないので、これでマイナス2(350cc、500㏄)。
ヘイルウッドが250㏄で8連勝した後のアルスターGPは、ヘイルウッドが欠場しスチュアート・グレアムがホンダ6気筒で出場しリタイアしたので、これをホンダ欠場と勘違いしてマイナス1。
350㏄クラス、ヘイルウッドがアルスターGPで優勝しタイトル獲得し次戦マン島TTでは1周目リタイアしているので、これを「タイトル獲得後の欠場」と勘違いしてマイナス1。
マン島TT125でホンダは上位入賞できず、6位にヘイルウッドが入賞したのみだが、これをホンダ欠場と勘違いしてマイナス1。
合計マイナス5戦で、42-5=37戦 ではないかと思われる。
あるいは、もっと単純に
●「3位以内入賞数は35。500㏄ベルギーがレッドマンが転倒リタイア、最終戦イタリアでヘイルウッドがリタイアしたので2を足して37」
●開催レース数47を37と誤記。