レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
本日発売でした。
細かいところはまだ読み込んでいませんが、最初のところで気になる記述。
●12頁
「'70年代中盤から’80年代初頭にかけて、全日本選手権ロードレースの頂点はF750選手権で、世界GP500に向けた大排気量マシンのフィールドであったが~」
言葉を省略しすぎで何を言いたいのかよく分らない。また国内規定はF750ではない。
「レースポイントの付与対象は20台以上販売する公認車両」
200台の誤り。「販売」は「200台販売可能」という解釈(市販車でも売れ残りがあるのだから)。TZ750やTZ500の国内販売台数が少ないので「200」を「20」の誤植と勘違いしたのか。あるいは「国内規定をF750と勘違い+認定可能生産台数25台を販売台数20台と勘違い」なのか。なお、F750世界選手権は1979年を最後に終了したが、その1979年には生産台数の規定は撤廃されていた。
「~'74年の販売以来、セニア750、その後エキスパート750と呼ばれていた~TZ750に乗っており」
TZ750が国内販売され公認されたのは1977年シーズンから。
●13頁
「'81年のスズキRG500の公認取得」
80年に公認取得(シーズン前だったのかシーズン序盤だったのか要確認)。
「'82年。スズキはXR35の市販バージョンと言われたRGBを駆る」
XR34の誤り。
「阿部孝雄」
孝夫。
●15頁
(写真説明)「XR35のフルコピーだった’82年型RGB500」
XR34の誤り。
「スクエア4のYZR500(0W54)~第2戦筑波」
0W60の誤り。また0W60の国内初登場は第3戦鈴鹿だった記憶。
●17頁
「'84年の水谷は~スズキから貸与された前年のRGΓを走らせる」
1984年型市販RGB500の誤り。88頁に(伊藤巧選手は)「’85年には~アルミフレームの’84水谷車(RGB改)にスイッチ」とある。
ちょっと読んだだけでこれだけ間違いを発見。間違いのレベルからすると、他の記述が大丈夫とはとても思えない。