1961年ドイツGP125cc6位は誰? (ganriki.net)
に次の文を追加しました。
(8)島崎自身は次のように回想していた。
「やはりホッケンハイムは忘れられません。タベさんはちょうど私くらいの体格でした。前に出たかったのですが、私のマシーンはカウルの穴が小さいままだったので、ヒートしてしまって、前に出ることが出来ませんでした」(グランプリ・イラストレイテッド1987-11)。
この記述は、ドイツGP125㏄5位がタベリであること、右上写真のRC144のフェアリング(カウル)形状と一致する。
当時のFIMはいい加減で、例えば
〇1967年日本GP50㏄で優勝した伊藤光夫が年間ランキングから漏れていた。
〇1964年に改定したレギュレーションをフランス語のみで発行し、英語版を発行しなかった(1967年250㏄のチャンピオン決定の混乱を招いた要因)。
りしています。ですから島崎→高橋の取り違えも十分あり得たことです。
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