公開校正に ホンダオートバイレース史 (ganriki.net)
を追加しました。
ライターの中沖氏、ライダースクラブ誌で「鉄と心とふれあいと」を連載していたころはファンだったのですが、グランプリ・イラストレイテッド誌での元GP関係者へのインタビュー記事であまり信用できないと思うようになりました。特に1966年日本GP250㏄での長谷川弘選手の優勝を1967年かのように作文した記事はひどかった。
というわけで、ホンダオートバイレース史も「期待に違わず」誤りが多く見られます。レース平均速度、ラップ速度の誤りが多いのはともかく、次のような誤りは・・・
258頁「(マイク・ヘイルウッドの父親)契約した(第3戦)フランスGPでは、いちばん調子の良いRC162にマイクを乗せろと言い張り
258-259頁「(ヘイルウッドはフランスGPで)初めて乗るRC162を乗りこなし、フィリス、ヘイルウッド、高橋国光のワンツースリー・フィニッシュ~」
ヘイルウッドが初めてホンダ250に乗ったのは第2戦西ドイツでマシンはRC161でした。続く第3戦フランスでもRC161に乗り2位、そしてRC162が与えられた第4戦マン島で優勝しましたが、中沖氏は当時のレポートも写真も確認しないだけでなく、さらに作文して誤りを増幅させているのです。
このような中沖氏(故人)の記事をそのまま出版しようという出版社には事実を伝えようという気概は全く感じられませんが、それでも出版してくれるだけましと思わないといけないのかもしれません。
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