忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ヤマハグランプリ500勝達成記念サイト(4)

 前回、社外フレームであるがためにヤマハ500勝にカウントされなかったマシンがあることを示しましたが、ヤマハ500勝にカウントされているマシンの中にも社外フレームのマシンがあります。

  例えば1971年、ヤマハTD-2に乗り250ccチャンピオンになったフィル・リードはその年に3勝しましたが、そのTD-2のフレームはCheney製です。
http://philreadyamaha.blogspot.com/2013/11/phil-read-yamaha-discovery.html

 また、1975年350ccチャンピオンのセコットはTZ350で4勝を挙げましたが、内1勝はビモータフレーム車によるものです。

 この二つの例は、例えばフレームがヤマハ製でなくとも、マシン名を「Yamaha」としてレースにエントリーしたからでしょうか、500勝にカウントされています。

 他に500勝にカウントされた社外フレームには、記憶を頼るとマクストン、スポンドン、ニコ・バカー、シュバリエ、ROC等があります。
 
 では、これらのマシンが全て「Yamaha」としてエントリーしていたのでしょうか?

 1975年世界GPのマニュファクチャラーランキング表(モーターファン別冊)を見ると、350㏄クラスでマン島TT優勝の「ダグデイル マクストン ヤマハ」がランキング3位に、250㏄クラスでマン島優勝の「ダンフェイ ヤマハ」がランキング2位になっています。この2勝はヤマハ500勝にカウントされています。

 この2クラス、他にも「マック ベイッヒ ヤマハ」、「チャット ヤマハ」、「オークレイ ヤマハ」といったマニュファクチャラー名なのか、チーム名なのか、スポンサー名なのかわからない「マニュファクチャラー」も記載されています。

 また、優勝マシンではありませんが、例えば1971年の250㏄クラスのランキングhttps://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1970_79/1971/
に、Yamsel、Yamasaki、Padgett Yamahaがあります。

  これらの表の原典がFIMなのか雑誌(海外or日本)なのか分りませんが、おそらく正しいのでしょう。というのは1976年のマニュファクチャラーチャンピオンシップに関して、FIMは「マニュファクチャラーの登録制」を採りましたが、このような雑多なマニュファクチャラーでない「マニュファクチャラー」を排除する目的だったと考えられるからです。

 中野広之氏がまとめられた1969~83のマニュファクチャラーランキング表http://www.iom1960.com/other/maker-point-2.htmlで、1971~75年頃にヤマハ関係と思われる雑多なマニュファクチャラーが記載されているのに、1976年に姿を消したのは、その効果なのでしょう。

 1976年のマン島TT350㏄で優勝したモーティマーのマシンはマクストン・ヤマハですが、マニュファクチャラーランキング上はヤマハにカウントされています(そうでないと中野氏の頁のランキング表でヤマハ84点にならない)。

 簡単にまとめるなら「1975年以前はマシンの名前(マニュファクチャラー)は出場者(チーム)が勝手に付けることができたが、1976年には勝手に付けることができなくなった」です。

 おそらく、FIM(というかMOTO-GP運営会社)が過去のリザルトを再整理する際、ヤムセル(Yamaha-Seeley→Yamsel)は、車名に「Yamaha」がないのでヤマハではないと分類し、1974年マン島TT250、1975年マン島TT250及び350優勝マシンは、車名の一部に「YAMAHA」が入るのでヤマハと分類したのでしょう。

  私は、ヤムセルもマクストン・ヤマハも、ヤマハかどうかの区分上は全く同じ扱いが適切だと思います。

 では、1977年以降のマシンはどうなのでしょうか?
(続く)


PR

ヤマハグランプリ500勝達成記念サイト(3)

 1980年350ccのチャンピオンはJon Ekeroldで、マシンは車体がビモータ、エンジンはヤマハTZ350です。当時のヤマハニュース
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/library/yamaha_news_jpn/pdf/index/
208YamahaNews_J_1980.pdf

では「350ccとサイドカーの2クラスでもヤマハ、メーカー選手権獲得! メインレース500ccクラスとは趣を一変し、世界最強の市販レーサー”ヤマハTZ350”を駆るプライベートライダーとカワサキファクトリーマシンの対決がファンの目を釘づけにした350ccクラス。注目のメーカー選手権は、J・エクロルド、J・チェコットなど圧倒的台数を誇る”TZ勢”の活躍によって3年ぶり、6度目ヤマハの手にするところとなった。」

とヤマハのタイトル獲得として報じています。

  しかし、MOTOGPのウェブサイト
https://www.motogp.com/en/Results+Statistics
ではEkeroldのマシンは「Bimota」、350ccクラスのメーカーチャンピオンも「Bimota」になっています。このため、
1980年にEkeroldが挙げた3勝はヤマハ500勝にカウントされていません。

 このように「ヤマハエンジンを搭載している社外フレーム車」であるがために500勝にカウントされていないのは、次のとおりです。
年  クラス 勝数 ライダー   マシン
1971  350cc  1  ジェフリーズ   ヤムセル
        250cc     1    マックロウ   ヤムセル
1980  350cc   3  Ekerold        ビモータ
                      1   セコット     ビモータ
1981  350    2    Ekerold           ビモータ
                      1    Fernandez      ビモータ
1983  250         1     バルデ       シュバリエ
                 1    ラディゲ     シュバリエ

 計11勝です。この11勝をヤマハの勝利数にカウントするなら、500勝達成は2015年になります。

(続く)

ヤマハグランプリ500勝達成記念サイト(2)

https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=class&filter=250cc&order=desc
では1973年に登場したYZR250(0W17)の名前が全くありません。0W17の戦績は「YAMAHA 250」として、TD-3、TZ250の戦績とまとめてカウントされています。YZR350(0W16)も1974年のみ6勝したことになっています。 

 また、1972年、サーリネンはTD-3とYZ635(水冷)に乗り250㏄チャンピオンになりました。サーリネンがこの年の250㏄クラスで挙げた4勝はYZ635によるものですが、サーリネンの戦績はTD-3としてカウントされています。350㏄クラスでもYZ634がサーリネンの手により優勝していますがTR-3としてカウントされています。

 YZ634/YZ635は1973年に市販されたTZ350/TZ250のプロトタイプというべきマシンで、それ以上の説明の必要もないと思いますので、0W16/0W17について少し触れます。これは2017年11月2日の記事
http://jfrmc.tou3.com/Date/20171102/1/を修正したものです。

 0W16/0W17はTZ350/TZ250とエンジンの基本設計が異なる、全く別のマシンです。1972年、250㏄クラスでアエルマッキ(ハーレーダビッドソン)と激しいタイトル争いが演じられたことへの回答、そして、350㏄クラスでMVアグスタからタイトルを奪えなかったことへの回答なのでしょう。

 OW16/0W17の戦績は
1973年250㏄:第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が3連勝。Lnsivuoriがシーズン後半挙げた2勝も0W17によるものと思われる。
     
350㏄:0W16がシーズン後半に登場、ランシボリが2勝。
         いずれも前後ドラムブレーキ。

1974年250cc:0W17は姿を見せず。
      350cc:0W16に乗るアゴスチーニが5勝しチャンピオン、ランシボリも1勝。
     前輪のみディスクブレーキ。

1975年250cc:セコットに前年の0W16ベースの0W17が与えられ1勝、オランダで新型0W17が与えられベルギーで1勝。
     350cc:新型0W16でアゴスチーニ、金谷が各1勝。
     新型は何れも後サスペンションがモノショック(モノクロス)、前後輪ディスクブレーキ。


http://home.kpn.nl/twostrokes/works%20twins%20vervolg.htm#YAMAHA 250 OW17 / 350 OW16  1973-197
 にいくつか写真がありますが、TZと比べますと、クランクケースがコンパクトになっていますし、それ以外にも細かい差が幾つもあることが分ります。TZとは全く異なるエンジンです。このマシンをTZ350/TZ250ベースとするライター氏がいるのが残念です。

 1973年、サーリネン、金谷に与えられた0W17は3台で、フレーム番号は
0W16-B-305
0W16-B-306
0W16-B-307

と思われます。マシンが0W17なのにフレーム打刻が0W16なのは、OW16/0W17の2種のマシンに関するプロジェクトは同一で、そのプロジェクト記号が0W16だったからです。500㏄4気筒・0W20のフレーム打刻が0W19だったのと同じ理由です。
(続く)



サルモネラ食中毒

最近、医療関係者のtwitterをよく見ています。
 食事時の方は以下は読まないでください。

https://twitter.com/Ortho_FL/status/1270566249852891136

 サルモネラ食中毒で思い出したこと。
 実は25年程前にサルモネラ食中毒で入院したことがあります。8月10日頃の金曜日、職場の仕事の打ち上げで居酒屋に行き、翌日は、あるイベントに子供を連れて行き、午後4時頃に帰宅、休憩して午後6時頃に実家に向かい8時に着いて食事し・・・午後10時に発症。

 下痢→吐き気→下痢・・・の繰り返し。水を飲んだらすぐ出る感じ。熱は38℃位~39℃位を繰り返し・・・本当に苦しかった。日曜日に公立病院に行ったけど、当直医が外科で点滴もしてもらえず。月曜日に行くと、すぐ入院して点滴開始・・・入院しても2日くらいは吐き気に襲われました。5日程入院したのかな。

 以下は、私が調べた個人的な見解です。

〇細菌性食中毒は「腐ったものを食べた」から発症するのではない。
〇微生物が多い食品の代表は納豆。でも、これを「腐っている」とはいわない。微生物が増えて人間にとって都合のよい状態になったもの。
〇「腐ってる」、「腐敗」とは、微生物が増殖して、食品の色、味、臭い等が人間にとって不快なもの、食べる気にならない状態になったこと。
〇食品が腐っていれば普通の人は食べない。サルモネラ食中毒になるのは、食品が腐敗していないのに、サルモネラ菌数が食中毒を起こすレベルに達したから。
〇某牛乳の黄色ブドウ球菌食中毒事件は、黄色ブドウ球菌の増殖により耐熱性毒素が産生され、製造過程の加熱で黄色ブドウ球菌は殺菌されたが、毒素は残り食中毒を起こしたもの。牛乳の色、味、臭いに異常はなかった。

 医師なら「腐敗」という言葉はあまり使わない方がいいと思います。腐敗していれば(無理して食べない限り)食中毒にはならないのですから。



ヤマハグランプリ500勝達成記念サイト

 ヤマハがホンダに続いて世界GP500勝を挙げたのは2017年とされています。
ニュースリリース
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/release/2017/011/
記念サイト
https://www.yamahamotogp.com/500-victories

 私も500勝の内、〇勝かは目撃しました。

 上のサイトで「国際モーターサイクリズム連盟(FIM)は~正式に発表しました」とあるので、ちょっと心配です。MOTOGPが公開しているリザルトに誤りが多いですから。その問題はちょっと先延ばししておきます

 で、https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories の「〇勝目」は全く信用できません。「〇勝目」を語るためには、クラスに関係なく時間順に並べなければならないのに、排気量順→時間順になっています。

 例えば1983年を例にとると、本来は「第2戦フランス250→第3戦イタリア250→第4戦ドイツ250→第4戦ドイツ500・・・」と並べるべきところが、「第4戦ドイツ500→第6戦オーストリア500・・・・第2戦フランス250→第3戦イタリア250・・・」になっています。

 ですから「〇勝目は誰」と言うことはできません。何のために、こんな集計方法をしたのか理解に苦しみます。

 また、この記念サイト上のマシンの写真は「125ccマシンのところに350ccマシンの写真がある」のようなものが多いので、雰囲気だけ楽しめればいいという程度です。


 また、日本のライター氏がよく間違えるポイントも漏れなく間違えてます。例えば

〇1974年Anderstorp(スウェーデンGP)で0W23がLansivuoriの手により優勝。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories の138勝目。
→ベルギーGPでアゴスチーニに0W23が与えられましたが、Lansivuoriは0W20のまま。もちろんベルギーGP直後の500ccスウェーデンGPで優勝したLansivuoriのマシンは0W20。下がその写真。
https://alfonslx2.tumblr.com/image/142079284230
 これはライター氏が「0W23がベルギーGPでデビュー」→「ベルギーGPの後の戦績は全て0W23によるもの」と脳内変換した例です。


〇ヤマハRD56が1969年Imola(イタリアGP)で優勝。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories の59勝目。
 
こちらでは1966年にRD56が優勝したことになっています。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=class&filter=250cc&order=desc
→1969年250ccイタリアGPで優勝したフィル・リードのマシンはTD-2。ヤマハニュース1969-10では「ヤマハの旧型ツインの工場レーサー」とあるが誤りです。もちろん1966年にRD56は優勝していません。

 1969年イタリアGP250 https://www.facebook.com/photo/?fbid=2725118444269915&set=a.859402164174895の写真で明らかにTD-2と分ります。なお、ヤマハニュースの写真は350㏄クラスのもので、マシンはTR-2。

〇1985年Misano(サンマリノGP)で0W82が優勝。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories の277勝目。
→サンマリノGPでラバードが乗り優勝したマシンはTZ250。イギリスGPでV型2気筒の0W82がデビューし、スウェーデンGPも走りましたが、サンマリノGPでは走りませんでした。

https://www.youtube.com/watch?v=-i1imkt--Ko ナレーションでは「vee-twin」と言ってますが誤りです。映像ではっきりと2本の排気管が車体下の左右両側にあり、テールカウルから排気管が突き出してないことが分ります。サンマリノGPでラバードがV型2気筒ではなくTZ250を用いたことは当時の雑誌やレース年鑑にはっきり書いてありますが、上と同じようにライター氏が「イギリスGPでラバードにV型2気筒マシンが与えられた」→「その後のラバードのレース戦績はV型2気筒マシンによるもの」と脳内変換したものでしょう。

 もちろん、マシン毎の優勝数も誤っています。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes


 ただ、これらの誤りはヤマハの総優勝数には影響しません。
(続く)

カレンダー

10 2024/11 12
S M T W T F S
1
3 5 6 8
10 11 12
19 20 21 23
24 25 26 27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[10/24 野田]
[10/24 平野克美]
[10/22 野田]
[10/22 平野克美]
[10/18 Www.Portotheme.Com]
[10/18 https://Lvivforum.PP.Ua/]
[09/02 野田]
[09/02 hoge]
[09/02 野田]
[09/02 TFR_BIGMOSA]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析