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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RC141/RC142のエンジン打刻

 日本車の世界GP初レースは1959年マン島TT125㏄で、ホンダRC142が3台、RC141が2台出場しました。ライダーは次のとおり。

RC142:谷口尚己、鈴木義一、鈴木淳三
RC141:田中楨介、ビル・ハント

 RC142とRC141の違いはエンジンのシリンダーヘッド周り、ピストン等で、現地でRC141エンジンにこれらの部品を装着しRC142エンジンとしたものです。また、車体はRC141もRC142も共通です。

 ですから、RC142のエンジン番号、フレーム番号の機種名は「RC141」のままだったと思われます。

 下はマン島で撮影された写真で、エンジンがRC142とRC141のどちらかはわかりませんが、エンジン番号は

RC141-50003

のようです。最後の数字は不明瞭ですが。

0

 1961年型までのホンダのレーサーのエンジン番号は、

RC▲▲▲E-5〇〇〇〇

で、「E」はエンジン、「5」はレーサーを示すようですが、この写真では「E」は打刻されていないようです。



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水田の水の酸素濃度

https://x.com/syakado_game/status/1935564865571328198
「これは温度じゃなくて酸素飽和度の問題らしい。ザリガニ自体は40℃位まで耐えるけど、酸素飽和度でいくと30℃超えたあたりから酸欠で死ぬ。」


 酸素濃度、酸素飽和度の関係で、は疑問です。
 実験室データとは逆に、夏場の晴天時の河川、水路、ため池等の溶存酸素濃度は

 水温が高い時間帯→溶存酸素濃度が高い

の傾向があります。これは昼間、藻類、植物プランクトンが光合成により炭酸ガスを吸収して酸素を吐き出すためです。条件によっては酸素の泡が確認できることもあります。
 溶存酸素濃度が増加する一方、炭酸ガスの吸収によりpHが高くなり、pH10~11程度になることもあります(中性はpH7)。

 ところが夜になると、水温は低下するのですが、昼間に増殖した藻類、植物プランクトンが酸素をどんどん吸収し炭酸ガスを吐き出すため酸素濃度が低下します。特にため池等、水の流れのない場所ですと、酸素濃度が1mg/L以下になることもあります。もちろん、pHは低下します。

 件のザリガニが斃死時刻がわからないのですが、
A 朝に発見されたのであれば、夜の酸欠

B 斃死が午後2時くらいなら、酸欠ではなく、高水温か高pH

が原因の可能性が高いと思います。



RC143E-50022/RC143F-50003

https://jfrmc.ganriki.net/rc144/rc144honbun3.htm


にRC143E-50022/RC143F-50003の下の写真を追加しました。2007年に撮影したものです。




 私がこのマシンを初めて見たのは1980年に鈴鹿サーキットで行われたホンダモータースポーツ展です。具体的な展示期間は覚えていませんが、7月の鈴鹿8時間、9月の日本GPの時に見ました。残念ながらその時の写真はありませんが、エンジン番号、フレーム番号はメモしていました。



1960年代の世界GP

ホンダRC171で、1962年世界GPは全11戦で350㏄クラスは6戦だけだったことを書きました。

 1960年代、全クラス開催のGPはマン島TT、オランダGP(ダッチTT)、ドイツGPぐらいで、GPによっては6クラス中3クラスしか行わないGPもあったのです。
 下表は各年ごとの全GP数とクラス別のレース数を整理したものです。

備考1 赤太字は全GPで開催されたもの、青太字は「全GP数マイナス1」、黒太字は「全GP数×2/3以下」。
備考2 ( )がある欄は、( )外:予定数、( )内:実レース数。この差は、出走者が少なく世界選手権とならなかったレース(1963年日本350㏄、1964年日本50㏄)、天候不良による中止(1963年フランス250㏄、サイドカー)による。


 1960年代、ホンダ、スズキ、ヤマハが競った125㏄、250㏄のレース数が多いことが分ります。
 350㏄クラスは人気がないですね。MVアグスタ350㏄3気筒が登場しホンダとタイトルを争った1965年の翌年(1966年)はレース数が増えましたが、1967年のレース数はまた少なくなりました。
 50㏄クラスは初年度こそレース数が多かったのですが、すぐにレース数が減少してしまいました。


 500㏄クラスは「最高峰クラス」といわれることもありましたが、1958~1965年はMVアグスタ以外に競争力のあるマシンがありませんでしたし、レース数も多くありませんでした。
 一方、250㏄クラスはレース数も多く、1963~1967年にはメーカー間のタイトル争いが演じられました。
 1961年終盤~1965年に350/500㏄クラスでMVアグスタに乗っていたヘイルウッドがホンダに移籍した理由の一つは、彼が250㏄クラスで競争力のあるマシンに乗りたかったことです。繰り返しますが「理由の一つ」です。


 






ホンダRC171

 1961年に125㏄、250㏄の世界GPでタイトル(メーカー、個人)を手にしたホンダは1962年に50㏄、350㏄クラスにも挑戦します。

 ホンダは350㏄クラス出場に向け250ccをベースにボアを3mm拡げ47×41mmの284.5㏄としたRC170を開発し、続いて49×45mmの339.4㏄としたRC171を開発します。

 1962年世界GPは全11戦でしたが、350㏄クラスは6戦しか行われませんでした。350㏄第1戦マン島TT(6月6日)に出場したホンダレーサーはRC170で、トム・フィリス(1961年125㏄チャンピオン)、ボブ・マッキンタイヤが乗り、マッキンタイヤはリタイア、フィリスは転倒し死亡という結果でした。
 しかし、350㏄第2戦オランダ(6月30日)ではレッドマンがRC170に乗り優勝※、350㏄第3戦アルスター(8月11日)でRC171が登場しレッドマンにより優勝。残り3戦もRC171が勝ち(最終戦はトミー・ロブによる)、ホンダは350㏄クラスのメーカー、個人(レッドマン)タイトルを手にしました。

※RC171初登場のGPをオランダとする記事もありますが、アルスターの可能性が高いと考えます。


 写真は現存するRC171E-102/-(フレーム番号不明)。

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