RACERS volume 48
で、ヤマハの市販レーサーTZ750について「1974年3月31日、FIM春期会議でTZ750がフォーミュラ750の規定に適合しないことが決定された。この混乱の原因はF750の「市販車」に関する曖昧なレギュレーションと市販レーサーTZ350の出場が1973年に認められていたことが原因であり、FIM自身の責任である」と書いていました。
この1974年の事件について、少し詳しく書いてみます。
1974年のFIMレギュレーション33条にスポーツ・プロダクション・レース及びF750の公認について規定されており、電装、消音器、ナンバープレートについては触れられているものの、これが一般のスポーツ ・プロダクションマシンだけに適用されるのか、F750マシンにも適用されるのかは曖昧だった。しかし、市販レーサー・ヤマハTZ350、ハーレーダビッドソンXR750(市販ダートトラックレーサーXR750のエンジン使用)はF750規定に適合するものとして1973年のF750レースに出場しており、1973年は実質的にF750のベースマシンの由来は一般市販車に限られない運用がなされていた。
そして、1973年11月にMFJ(日本)がTZ750を公認、テクニカルデータを添えてFIM全メンバーに通知され、1974年3月まで何の異議も出されなかった。
ところが、同月、FIM春季会議で一転する。西ドイツ側から、F750の原形マシンの最小生産台数200台を2000台に引き上げようという提案がなされ※、その審議において、TZ750がFIMの規定に合致しないとして、TZ750によるF750レース出場を禁止することが決定、その旨発表されたのである(1974年3月31日)。
※最小生産台数が引き上げられることにより、TZ750は即座に(あるいは段階的に)F750不適合になる。
(続く)
参考
オートバイ誌1974-6、Yamaha Racing Motorcycles: All Factory and Production Road-Racing Two-Strokes from 1955 to 1993 by Colin MacKellar, Crowood Press 1995。
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