レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
ロードレーサーの騒音規定が設けられたのは
世界GP 1976年第7戦ベルギーGP~ ※1
F750 1976年~
ヨーロッパ耐久選手権(1980から世界選手権) 1976年~
全日本選手権 1977年~ ※2
※1 第1戦から適用される予定だったが、多くの出場チームの対応が遅れたため実施が延期されたもの。スズキXR14(500㏄ファクトリーマシン)は第1戦からサイレンサーを装着していた。
※2 1976年後半に高井幾次郎が乗ったヤマハ0W31(750㏄ファクトリーマシン)はサイレンサーを装着していた。最終戦日本GPで金谷秀夫が乗った0W31には装着されていなかった記憶。
これは1984年鈴鹿8時間耐久レースでの騒音測定で、マシンは優勝したホンダRS750R。
RS750RE-4808/RS750RF-4808
測定は金曜日朝一番の車検時ではなく金曜日午前の予選後に行われた記憶です。写真では新品タイヤが装着されていますが、順番に測定するので順番待ちの間にタイヤ交換したのでしょうか?
さて、当時の規制値は、4ストロークエンジンの場合
ピストン平均速度11m/sで測定
排気管後方45度50cmで測定
測定値115dB(A)
でした。RS750Rのストロークは48.6mmですので、6790rpmでの測定になります。
2ストロークではピストン平均速度13m/sで測定し110dB(A)でした。実回転数は
ストローク54.5mm 7160rpm
54mm 7220rpm
50.7mm 7690rpm
になります。
1960年代のホンダ250㏄6気筒、300㏄6気筒レーサーのウォームアップの排気音は猛烈なもので、当時のホンダF-1エンジンより騒音が大きいと感じました。排気量は違いますが、F-1では3-1の集合排気管なのに対して250㏄6気筒等は6本メガホンですから。耳垢が剥離して耳の中で踊っていると感じました。
騒音規制によりレースの魅力が少し失われたように思いますが、サーキットによっては周辺騒音が問題になる地域もありますし、ライダー、ピットクルー等の健康被害(聴力低下)防止のためにも騒音規制があってよかったと思います。
外観では毛利良一選手のTZ750(D型~F型)と思われます。毛利さんは1977年から1980年シーズン序盤までTZ750に乗った後、1980年中盤にTZ500に乗り換えました。
動画の中にフレーム番号409-00001が写っています。ただ、下の理由から、これは本来のフレーム番号ではなく後から打刻されたものである可能性があります。
〇この頃のヤマハ市販レーサーのフレーム番号のハイフン以下は6桁なのに、このマシンは5桁。
〇この頃のヤマハ市販レーサーのフレーム番号はステアリングヘッドに打刻されていたはずだが、このマシンはバックボーン部に打刻されている。
〇1977年型以降のTZ750(D型~F型、モノクロスサスペンション)は「200101」が1号車のはず。
〇「00001」が「000001」の打ち間違いだとしても、このマシンは1974年型のプロトタイプになってしまう。
括弧内は設計社です。ハー40、140はダイムラーベンツDB601のライセンス生産です。
ハ-13甲 400台 (東京瓦斯電気工業)
ハ-25 1708台 (中島飛行機)
ハ-40 3315台
ハ-140 199台
ハ-115-1 3714台 (中島飛行機)
ハ-115-2 1797台 (中島飛行機)
計 11133台
出典は「明石工場50年史」(川崎重工業株式会社明石工場 1990.10.15)。
ハ-25、115は一式戦闘機のエンジンとしても有名ですが、川崎が生産した飛行機では
一式貨物輸送機(明石)
99式双発軽爆撃機(岐阜?)
にこれらのエンジンが装着されましたので、川崎生産エンジンの多くは自社生産飛行機用だと思われますが、この2機(飛行機)の生産数からすると他社の飛行機に装着されたエンジンもあるのでしょうか?