レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
が亡くなりました。
Remembering Pat Hennen (motogp.com)
1976年500㏄フィンランドGPで優勝し「500㏄クラス初のアメリカ人勝者」とされます。もちろん、それは正しいのですが、500㏄どころか全クラス通じて初のアメリカ人勝者です。
ヘネンが世界GPに参戦するまで、ヨーロッパ中心の世界GPとアメリカ国内レースは隔絶した関係にあったといえるでしょう。そして1977年にはスティーブ・ベーカー、1978年にはケニー・ロバーツが世界GPに本格参戦します。
その1978年、500㏄第5戦イタリアを終えた時点でロバーツ3勝57点、ヘネン1勝51点、バリー・シーン1勝47点でした。そしてシーズン後半にはロバーツが慣れていない公道サーキットのGPが2つあること等を考慮すれば、ヘネンのタイトル獲得の可能性は十分あったのです。
そして、第6戦オランダの前、マン島TTレース500㏄クラスに出場します。前年(1977年)、ヘネンはスズキ1977年型XR14(1977年型RG500・2ストローク500㏄スクエア4気筒)に乗り5 位でしたが、1978年はアメリカ人初のマン島TT優勝を狙ったのでしょうか。
レースはトム・ヘロン(市販スズキRG500)とヘネン(XR22(RGA500))の一騎打ちになります。ヘネンがゼッケン3、ヘロンはゼッケン8,つまりヘネンが20秒先にスタートしており(タイムレース)、二人は互いに相手をほとんど見ずに争いました。
60.725km6周のレース、ヘロンがリードを続けますが、ヘネンも(タイム上)追い上げ5周目にはTTレース史上初めて20分を切る19分53.2秒を記録します。そして最終ラップの半ば、ビショップスコートでクラッシュ、重傷を負い、レース界から去ることになりました。
それから12年後、500㏄US-GPでケビン・シュワンツが転倒した場面の写真にヘネンが写っており、元気な姿を見せてくれたことにほっとしたことを思い出します(シュワンツには申し訳ないですが)。
左端を拡大。
それから34年後、70歳で去りました。
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