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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

1979年の全日本選手権国際A750㏄

 1979年のロードレース全日本選手権の日程です。このうち、第4戦は国際A750・350の開催予定はありませんから、国際A750・350は全8戦です。

 
 得点対象は公認車両による出場に限られますが、得点が与えられるのは出場者が5台以上の場合です。

 で、実際に得点が与えられたのが第6戦と第9戦だけでした。第1戦、第8戦は750ccの出場者がゼロでしたし、750㏄出場者があったレースでも、(例えば)第2戦では750㏄クラス公認車両の出場は3人だけで、これに非公認車両(FL)の出場が2人加わっただけでした。 
 第3戦、第5戦ではFL750出場が2人あっただけで、(雑誌記事からすると)公認車両の出場はゼロだったようです。

 全日本選手権といいながらA750は「これが選手権ですか?」と言いたくなるような状況でした。

 この状況が大きく変えたのが1980年のヤマハTZ500市販(当初から公認車両)、スズキRG500市販(1981年型から公認車両)で、1980年まで750・500混合レースからだったものが、出場台数が増加もあって、1981年から750㏄クラス改め500㏄クラス単独レースになったのです。


 

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自転車のパンク修理

https://x.com/yada_ynfp/status/1952236545840496771

「高校生ならパンク修理くらいできるんじやない」は「高校生なら誰でもできる」ではなく「高校生ならやる気になればできる」という意味でしょう。

 自転車のパンク修理、私は中3の頃に近所の自転車屋さんがやり方を教えてくれました。道具等はその店で買いましたが、そのタイヤレバーはまだ手元にあります。


 高校は自転車通学でしたが、携帯ポンプと修理道具をカバンに入れてましたね。2回役に立ちましたが、1回目は帰宅途中、2回目は日曜日の部活に行く途中でした。いずれも後輪だった記憶です。

 「パンク修理は文系」・・・文系も理系も関係ないですね。私は面白いからやっているだけです。まあ、安く済む、ということもありますが。

 50年前、パンク修理は500円くらいだった記憶です。今は何円くらいでしょうか? サイクルベースあさひの料金表ですと、


パンク修理(1か所) 1430円
水調べ 1100円

です。「水調べ」は「パンクした箇所が外見でわからない時に水槽にチューブを漬けて調べる」ということなのでしょうか?

 ということは、パンク修理1か所は1430円または2530円でしょう。自分で修理するなら、ゴムのり、パッチ等が必要ですが、1回あたり1300円~2400円お得です。手間はかかりますが、楽しいのですからお釣りが出ますね。

 



 

ちょうげい(潜水艦)

 
(クリックしてください)


 今日、神戸港で観光船に乗ったら近くを潜水艦が浮上航行していました。
 艦番号517・ちょうげいです。昨年10月に進水し、現在は試験中です。期待して観光船に乗ったのではありませんが、幸運でした。

雑誌の発売日

 RACERS Volume 76の13頁に次の記述があります。

「当時は~WGPの情報などは、開催されてから少なくとも2、3ケ月ほど遅れて発売される雑誌の紹介記事を見るだけだった」

 この記事を書いたのは関谷氏ですが、以前、鈴鹿サーキットのイベントでRACERSの今井氏も「2~3ケ月」と語っていた記憶です。

 1980年500㏄の8戦の開催日とライダースクラブ発売日と時間差(日)は次のとおりです。

ですから「1~2ケ月遅れ」ですね。

 ひょっとしたら、2氏とも(例えば)ライダースクラブ8月号は昔も今も8月1日発売ではなく6月27日発売であることを知らないのかもしれません。

 ライダースクラブ1980-8には「昭和55年8月1日発行」と書いてありますが、これは出版界の先付け慣習によるものです。

  ところで、当時、レースファンが世界GPの結果を早く知る方法・・・

1 英字新聞をチェックする。日本の新聞では全く記事になりませんが、英字新聞ですと記事になることがあった。
2 一部のバイク用品店が速報を掲示していた。
3 テレホンサービス

 2については1984年にはありました。3については1988年頃にはあったという記憶です。





 




1980年国際A級750㏄チャンピオン

公開校正 RACERS Vol.76 TZ500 の末尾に次の記事を追加しました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

参考3 1980年国際A級750㏄のチャンピオン
 最終的に鈴木修がチャンピオンと決定されるまで混乱があった。
(1) 1980年日本GP直後に1980年国際A級750㏄チャンピオンは鈴木修と非公式に発表された。
  下はライディング1980-9に掲載された日本GP直前のランキング表。〇が付けられた得点は有効得点(ベスト5戦分)に加算されないもの。
(クリック)
 これに最終戦日本GPの得点を加算すると鈴木がチャンピオンになる。
 
(2) 上表の第4戦鈴鹿の水谷の得点が10(3位)、毛利の得点が6(5位)だが、2位の河崎裕之のスズキRGB500(XR27)はファクトリーマシンでありMFJ非公認車両であるにもかかわらず得点対象としたことによる。まず、これを除外する(毛利、水谷の得点が加算)。そして、日本GP国際A級は国際格式(実際はMFJライセンス保有者のみが参加)であるため、世界GP等と同様にファクトリーマシン(MFJ未公認車両)も得点対象とする。
 この結果、毛利56点、鈴木55点となり、毛利がチャンピオンに内定する。
 
(3) 市販レーサーであるスズキRG500は公認車両と認識されていたが、MFJロードレース委員会において、スズキからの公認申請のない非公認車両であることが問題になる。このため、第7戦筑波での得点対象者の1位は酒井清孝(市販RG500)ではなく鈴木になる。また、このレースで水谷は転倒したが、再スタート、TZ350勢の後でフィニッシュしたのだが、750ccクラス3位と認められ10点が加算される。この結果、水谷がチャンピオンとして12月2日に電話通知される。
 
(4) MFJ競技規則では出場者数によって得点が上位何位まで与えられるかが決まるが、公認車両による出場者数から酒井ら市販RG500出場者が減算されたことにより第7戦の水谷の10点等、下位の得点が抹消される。
 (2)の下線部はMFJ競技規則に反するとして、得点対象、出場者数算定から除外される。
 これらの結果、12月4日、鈴木がチャンピオンと決定(最終ランキング表)。

参考文献 ライダースクラブ1981-1、1981-2
 
  
 下はライディング1980-5に掲載されたTZ500の公認公示で、国内出荷台数25台とあるが、この25台が公認の基準。実際には25台も出荷されなかったが、「注文があれば出荷します」という前提である。スズキがRG500の公認申請を行わなかったのは「25台」を厳密に解釈したためと思われる。
 「半乾燥重量138㎏」とあるが、一般市販車の公認公示で「半乾燥重量」とされたものが実は乾燥重量だったので、これも「乾燥重量」の誤りと思われる。

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