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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

ハーレーダビッドソン250ccGPレーサー(3)

に乗るWalter Villaが世界GP250ccクラスでタイトルを手にしたのは1974~76年ですが、1974年にVillaが4勝、1975年はVillaが5勝、ミッシェル・ルジュリーが2勝、そして1976年はVillaが7勝、ジャンフランコ・ボネラが1勝しました。また、1976年には350ccクラスでVillaが4勝してタイトルを手にしました。

 この時期は片山敬済が活躍した頃と重なります。片山は1974年250ccクラス第4戦オランダから参戦開始、早くも第6戦スエーデンで初優勝しました。片山のマシンは市販レーサーTZ250ですが、市販状態の前ドラムブレーキではなく、前ディスクブレーキで、当然、前フォークも市販状態とは異なります。当時、世界GPを走る他のヤマハライダーも同じパーツを使っているようですので、ヤマハから供給されたのでしょうか。
 片山は1975年は世界GPに参戦せず、1976年に、この年にモデルチェンジしモノクロスサスペンション+前後ディスクブレーキになったTZ250/350で再参戦、250ccクラスではランキング2位(スエーデンで優勝)、350ccクラスでランキング7位。
 
 そして1977年は250ccクラスでランキング4位(スペインで優勝)、350ccクラスでタイトル獲得(ドイツ、フランス、フィンランドは3気筒で、ユーゴスラビア、スエーデンは2気筒で優勝)しました。

 この1977年、ハーレーは350ccクラスではフランコ・ウンチーニがランキング20位に入ったのみで、250ccクラスでウンチーニがランキング2位(2勝)、Villaが同3位(3勝)に終わりました。そして、1978年、Villaはマシン貸与の体制で250ccクラスを走り、250cc第6戦ベルギーでシーズン初入賞(3位)したのが、ハーレー250ccの最後のレースのようです(ランキング16位)。第7戦スエーデンの戦績は分りませんが、第8戦フィンランドでVillaはMBAに乗っています。
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ハーレーダビッドソン250GPレーサー(2)

  このハーレーダビッドソン(アエルマッキ)の250㏄レーサー、開発当初は空冷でした。 
 写真は1972年の空冷マシンのエンジン。普通のバイクエンジンのクランクケースは、クランクシャフトが収まる部分と変速機が収まる部分が一体構造なのですが、このエンジンはクランクシャフトが収まるクランクケース(右)と変速ギアが収まるギアボックス(左)が別構造で、ボルトで結合されます。


 また、変速機は左側からギアクラスターを引き出せるようになっており、変速機ギア比を容易に変更できます。

 なお、このエンジン、一般市販車への設計転用も考慮されているようで、前回示したこの写真で、キックシャフトが収まるべき位置が分るでしょうか。


 さて、このマシンのエンジン番号は実はギアボックスにあります。私がこのマシンを見たのは30年以上前ですが、クランクケースにそれらしい番号はなく、ギアボックスの番号だけでした。実質的にはこれがエンジン番号という扱いなのでしょう。

 また、このマシン(個体)、現在は海外にあるようで、ネット上では2010年の「For Sale」の頁があります。
https://raresportbikesforsale.com/1975-harley-davidson-rr250-roadracer/
 後サスペンションはリンク機構が外され、本来のツインショックになっています。

 

ハーレーダビッドソン250GPレーサー(1)


250/2C/2T/10118/250/2C/2T/10118
 
 1975-76年頃のハーレーダビッドソン250㏄レーサーです。RR250という車名が知られています。
 
 アエルマッキという航空機製造会社がありましたが、アレーニアと合併→現在はレオナルドの一部門となっています。そのアエルマッキがかつてバイクを製造していましたが、1960年頃にハーレーの資本が入り、さらにはバイク部門がハーレーに売却されました。そのため、世界GPでのレース活動も1972年まではアエルマッキ、1973年からはハーレーになったのです。もちろん、レーサーの開発、チーム運営はイタリアです。250㏄では1974~76、350㏄クラスでは1976年にWalter Villa がタイトルを手にしました。
 
 1974年型は後ツインショック、前後スポークホイールのマシンでしたが、1975年以降、後サスペンションはツインショックが主に用いられたものの、次のようなものも用いられました。
(1)ヤマハのモノクロス風
(2)モノショック(ショックユニットほぼ直立)
(3)上に同じ(ビモータフレーム)
 
 上のマシンは(2)です。
 エンジン/フレーム番号中の2Cは2 Cilindri(2気筒)、2Tは2 Tempo(2サイクル)を示すと思われます。




ブルタコ50㏄GPレーサー


  MZ17600009/114869

 ブルタコ50㏄レーサーです。1976、1977年にアンヘル・ニエート、1978年はリカルド・トルモの手により50㏄世界選手権を獲得しました。フレーム横にリブ有と無しがありますが、これは無しタイプです。何年型のマシンかは私にはわかりません。


 ブルタコはスペインのメーカーですが、このマシンはオランダ→イタリア→スペインへと移籍した技術者によるものです。とはいっても移籍の際には、マシンも移転しています。

 始まりはオランダのヤマティです。1975年シーズンにピオバティチ(イタリア)として、1976年シーズンにはブルタコとして世界GPで走っています。
 このあたりは
ブルタコ
http://www.elsberg-tuning.dk/bultaco.html
ヤマティ
http://www.elsberg-tuning.dk/jamathi.html
https://www.jamathi.nl/gp-racers/
で読むことができます。ヤマティの名前の由来についても。

URSのクロスプレーンエンジン(2)

 私が「URS」を知ったのはモーターサイクリスト誌1969-6からです。この雑誌、「ホンダCB750をテスト!」が掲載されたことで知られています。
https://mc-web.jp/archive/history/15226/
では1969-10となっていますが、1969-6の誤りですね。出版社本家本元が間違えています。

 で、この号の中でURSについて7ページに亘って詳しく取り上げられてます。点火間隔については書かれていませんが

〇点火順序は1-4-2-3
〇クランクは2気筒ずつ結合されカウンターシャフト(注:動力取出軸)で一つになる。
〇クランクピン位相は左右(注:左右の2本のクランクシャフト)いずれも90度づつ。

とあります。
 そして、この写真

からすると、点火間隔は90-180-270-90度です。

 実のところ、この記事を初めて読んだ時は、こんなことは全くわかりませんでしたが、1978年になって、
https://www.amazon.co.jp/Classic-Motorcycles-Vic-Willoughby/dp/0600318702
を読んで、初めてURSのクランクが2次慣性力を釣り合わせるためのものだったことを知り、モーターサイクリスト誌の記事を読み返したのです。

 このClassic Motorcyclesは多くのマシンを取りあげているのですが、かつてモトライダー誌でその一部の日本語訳が連載されていました。URSが取り上げられていたかどうか記憶がありません。

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