レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
出典はこちらです。
マイ・ワンダフル・サーキットⅡ 鈴鹿から世界へ
http://www.f1-stinger.com/special/mwc/chapter02/talk18/
――デグナー選手は、当時の東ドイツから亡命という大事件を引き起こした後に、スズキのワークスライダーになったんですよね?
「それは1961年の9月、西ドイツで行なわれたGPのときのことでした。東独のMZに乗っていたデグナーが行方不明だ!というニュースが世界を駆け巡りましてね。日本では“デグナー”といわれても一般的な知名度はほとんどありませんでしたが、当時の欧米ではセンセーショナルな話題でした」
西ドイツGPは5月開催で、東ドイツGPは7月開催。9月に開催されたのはイタリアGP、スェーデンGP。デグナーが亡命したのはスェーデンGP。こちらを参照。
http://www.iom1960.com/other/degner.html
――“MZ乗り”の名手、あの天才ライダーが“消えた”?
「略」
――いわゆる東西冷戦の真っ只中、“ベルリンの壁”が作られたのもこの1961年で、この年の10月には“キューバ危機”も起こっている。そんな時期の亡命というのは、よほどの決意ですよね。
いわゆる「キューバ危機」は1961年ではなく1962年10月
「略」
――あ、そういえば《鈴鹿》の「デグナー・カーブ」って!?
「そうです、このセニア、50ccクラス10周でのレースでのことでした。前日の豪雨がウソのような快晴。スタートして、1~2周をトップで独走していたデグナー選手でしたが、S字コーナーから180Rの左コーナーを抜けた先、80Rの右コーナーで転倒しましてね~名手が転んだ!として、そのコーナーが“デグナーカーブ”と呼ばれるようになり、今日に至っているわけです」
デグナーが転倒したのは4周目。
まあ、キューバ危機の年を間違えるのは、少し恥ずかしいと思います。