レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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高井幾次郎選手が1978年スペインGPに参戦したことにほとんど触れられることがありません。ヤマハのWGP参戦50周年記念サイト中の1978年の頁にも高井選手の名前はありません。
1978年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
まず、別冊モーターサイクリスト79-8の記事を紹介します。
「昨年(注:1978年)も、ヨーロッパへ今年を同じような目的で飛んだが、転倒によるケガのため、その結果は不振に終わった。初戦、フランス・イモラ(注:青字はポールリカールの誤り。4月9日開催のMOTO JOUNAL 200)での750㏄世界選手権は4位とまずまずの出足だったものの、スペインでのGP500では先行するマシンの転倒に巻き込まれ転倒骨折、すぐにベルギーに戻って手術。予定されたオーストリアGP500は観戦。続くフランスでのGP500は手術の糸が取れないまま練習開始したが再び転倒、イタリアでのGP500はケガの治らないうちに走り出したものの、手が満足に上がらない状態だったために、ドクターストップ」
ライダースクラブ78-7中、スペインGPの記事では
「~高井が周遅れのマシンと接触転倒してしまい、鎖骨を折ってしまったのだ。惜しいことに、スタートで出遅れた高井が、やっとチェコット、シーン、ベーカーのセカンド・グループに追いついた直後の出来事だったのである」
2誌の赤字の記述が異なっています。
このレース、0W35Kに乗るロバーツ、セコット、片山、スズキXR22に乗るシーン、ヘネン、XR14に乗るベーカー、何れも完走していますので、ライダースクラブ誌の記述が正しいと思われます。
なお、高井はスペインGPプラクティスでシーンに0.1秒遅れの6位でした。
スペインGPでの転倒がなかったらどんな結果になったのかと思わざるを得ません。
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