レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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ヤマハは1973年から2ストローク並列4気筒マシンで500㏄世界選手権に本格参戦していました。吸気方式は1976年まではピストン・リードバルブ、1977年からはピストンバルブでした。一方、スズキは1974年から2ストローク・スクエア4気筒でロータリーディスクバルブ吸気でした。
ヤマハは1960年代に125/250㏄クラスにロータリーディスクバルブ吸気2軸クランクV型4気筒レーサーを走らせていたにも関わらず、スズキの二番煎じの印象を与えるスクエア4気筒をなぜ開発したのでしょうか?
それは振動の問題だと思います。2軸クランクVで2軸とも同方向回転の場合、1982年に登場した0W61のようにV角を40度とするなら、点火間隔を140→40→140→40度にすれば1次慣性力を釣り合わせることができるのですが、トルク変動する軸同士をギアで繋げる場合は2軸間で2気筒ずつ同時点火にする必要があり(参考頁)、1次慣性力を偶力が生じないように釣り合わせることはできません。その対策に時間を要することが懸念されたのではないでしょうか?
もちろん、十分な時間があればスクエア4気筒を開発する理由は少なくなります。しかし、79年のチャンピオンマシン0W45をベースにした市販レーサーTZ500を1980年に登場させたのは、その頃はヤマハとしては並列4気筒レイアウトに自信があったからだと思いますが、1980年シーズン後半には並列4気筒でスズキの攻勢に対応することは無理になっていたという切迫した状況が、ヤマハにV型4気筒の前にスクエア4気筒を開発させた理由ではないかと考えます。
(続く)
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