レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
片山義美さん で取り上げた片山さんですが、20年以上前にお会いしてTEAM SUZUKI by Ray Battersby(リンク)にサインをいただきました。カーグラフィック今月号に書かれていた「1967年に監督の指示でチャンピオンをアンシャイトに譲った」ことも、この時にお聞きしました。
その時、いただいたサインです。
片山さんはずっとバイクに乗っておられて、晩年にはカワサキ・ニンジャ650(2気筒)にも乗られていましたね。その後、スクーターに乗り換えたような記憶です。
スズキ時代の片山さんの逸話(おそらく1967年)。http://iom1960.com/memories/autobahn.html
「私の運転でAutobahnを全開で走らせているときだった。後方で「コツッ・・コツッ」と音がした。何の音かなと思ったが・・しばらくすると「うしろから押される感じ」・・バックミラ-でうしろを見ると、バックガラス越しに、大きく片山くんの顔が見え、ニコニコ笑っているではないか。先ほどの「コツッ・・コツッ」といった音は、彼の車のフロントバンバ-を、私の車のリア-バンバ-にぶつけていた音だ。そしてうしろから私の車を押しているのだ。
私の車は全開で走っているのだから、スピ-ドを上げて逃げることも出来ない。スロットルを絞るのも怖くて出来ない。やむを得ず、そのまま走る。前方にスピ-ドの遅い車が見え、距離が狭まって来る。片山くんの車はまだ後にくっついたままだ。サイドミラ-で後方車両を確認して追い越し車線に出て、遅い車を追い越す。片山くんの車も後にくっついたままでの追い越しだ。
この話をチ-ムの連中に話したところ、何人かが「おれも、やられたよ」と言っていた。この時以降、私は片山くんの運転する車の前を走ることは出来るだけ止めることにした。
これを読んだ方々は「そんなの無茶苦茶だ!」と言われるかもしれませんが、彼の運転技術・・運転への自信・・の一端をお話したまでである。」
片山さんの息子さんが経営されているカタヤマレーシングに片山さんの紹介ページがあります。
https://www.katayamaracing.com/index.html#midas_kata
ゼッケン145の走行シーンは1967年東ドイツGP125㏄でRT67Ⅲに乗る片山さんです。
エンジンの水ポンプ流量と水温
を書きました。以前、ブログで書いた内容に手を加えたものです。
私は2台のバイクを持っていますが、1台はバイパス経路なしの水冷ですので、夏場以外はラジエーターをカバーして、循環水量を確保するようにしています。もちろん、水温計をチェックして適正水温を越えないようにしています。
実は、私のヤリスもロードスターも冬場はラジエーターの一部をカバーしています。目的は
●エンジン循環水量を増やす。
●ラジエーター通過水量を増やす。冬場にラジエーターへの送水が途切れるのを防ぎ、ラジエーターを保護する(ラジエーターは(特に冬場の)水流の断続回数がラジエーター寿命に影響する)
●エンジンルームに入る空気量を減らす(油温低下を防ぐ)
もちろん、やりすぎはエンジンによくないので、個人責任です。