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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

バルブスプリングエンジンのバルブ作動系損失

http://jfrmc.ganriki.net/zatu/pvs/pvs.htm

 について質問をメールで受けました。「本文中ではバルブスプリングエンジンのバルブ作動系損失は回転上昇に伴い減少するように書いてありますが、補足3のグラフでは12000~13000rpmまでは損失が増加しているのはなぜ?」

 答えは簡単で、本文中では損失をトルクで表現しているのに対して、補足3は損失を出力で示しているからです。出力はトルクと回転数に比例するので、損失トルクが減少しても、それ以上に回転数が上昇すれば損失出力は増加します。
 ピストンであれクランクシャフトであれ、損失トルクが一定だったとしても回転数上昇に伴い損失出力は増加します。

 ドウカティ・ジャパンの発表で「回転上昇に伴い駆動ロスは増加するもののある回転数を境に減少」の赤字部分は当然のことを言ってるに過ぎません。

 そんな訳で、補足3に損失トルクの計算結果を示し、加筆しました。
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ヤマハ0W60の車重

http://jfrmc.ganriki.net/ow54/ow54-2.html
中、ヤマハ0W54の車重についての記述ですが、RACERS Vol02を引用し、0W60の車重を「0W54から10㎏近くダウン」としていました。

 しかし、以下のヤマハのサイトで「約6㎏」とありましたので、関連する記述を修正しました。

https://global.yamaha-motor.com/jp/
race/wgp-50th/race_archive/machines/
yzr500_0w60/
 (2011年公開)

https://global.yamaha-motor.com/jp/
showroom/cp/exhibition/archives/2003_3/
pdf/yzr500_brochure-j.pdf
 (2003年公開)

スズキ 青谷テストコース

2015年にブログで取り上げましたが、年内着工が発表されました。1964年に竣工した竜洋テストコースは「予備的に使う可能性もある」とのことです。

https://www.at-s.com/news/article/economy/shizuoka/800170.html

こちらの資料中の図からすると最長直線距離は1km程度でしょう。







検査数の増大

こんなことが起きていないことを祈ります。

〇職員を休みなしに働かせる→ミスの増大(誰も検証できない)
〇必要な操作の省略
〇検証が不十分な検査方法の採用
〇検証が不十分な試薬の使用
〇精度はどうでもいいから検体数を稼げと命令する上司


 測定がどんなものなのか分らない人にとってはどうでもいいことですね。

1980年のケニー・ロバーツ(ヤマハ)はどこと契約した?(2)

この記事は
http://jfrmc.tou3.com/%E3%81%9D%E3%81%AE%E4%BB%96/1980%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%82%B1%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%84%E3%81%AF

に加筆したものです。
・・・・・・・・・・・・・・・・

 ケニー・ロバーツが500CC世界GPに参戦した6年間のうち、1978-80は、黄色主体のいわゆるインターカラーで、1981-82がヤマハ・ファクトリーカラーというべき白地に赤ストライプ、1983年がマルボロカラーでした。
 
 このことから、雑誌等では「ロバーツは1978-80年はヤマハのアメリカ現地法人Y.M.U.Sとの契約、1981-82年はヤマハ本社契約」と書かれた記事をよく見かけます。ヤマハのウェブサイトでも、1981年について「K・ロバーツが本社契約ライダーとして参戦し~」と1981年から本社契約となったかのように書かれています。
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/season1980_89/1981/


 ライダースクラブ誌(枻出版)1980-4に次の記述があります。

 (シーズン前に公開された1980年型YZR500について)「マシンは今のところファクトリーの純正カラーに塗られているが、今シーズン本社契約で走るのはロバーツひとりであり~昨シーズンまでと同じようにUSヤマハカラー(略)となれば、伝統のこのカラーリングはGPで見られなくなってしまうのだろうか」
 
 さて、ケル・カラザースは24年前に次のように語っています。https://web.archive.org/web/20101221015640/http://superbikeplanet.com/2002-Sep/kelcarruthers1996.htm

”(注 1978年について)It was all financed by America (Yamaha). They paid me, they paid Kenny. They got me a budget to run the race team. Of course Kenny won the championship and the next year he won it again and then the factory more or less decided that they'd give up the factory team and let me run the factory team. So I ran the factory team and was contracted to Japan and basically I had Kenny as a rider and we had mechanics and one engineer from Japan.”

 簡単にまとめると「1978、79はヤマハ(アメリカ)が資金を出し、1978、79とタイトルを手にしたが、1980年、ヤマハ(日本)はファクトリーチームの自社運営を諦め、ヤマハ(日本)はカラザースにファクトリーチームの運営を委託した」のです。

 つまり、ライダー(ロバーツ)はヤマハ(日本)の契約で、チームはヤマハ(日本)と契約したカラザースチームだったのです。これが、ロバーツがY.M.U.Sの契約でないにも関わらず1980年のロバーツのマシンのカラーリングがインターカラーのままだった理由です。


 マシンのカラーリングだけでライダーの契約関係を判断することはできないのです。

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