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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

990ccMotoGPマシンの燃料タンク容量規定が24リットル以下から22リットルになったのはいつ?

Wikipedia 
https://ja.wikipedia.org/wiki/ロードレース世界選手権#990cc時代_(_2002年_-_2006年_)
では2004年になっています。参考資料になっているのはバイカーズステーション誌2001-4号です。この雑誌を持っていないのですが、この雑誌に2004年の燃料タンクのレギュレーションの記述があるとしても、それはあくまで「予定」です。

 ヤマハのウェブサイトでは2004年型からになっています。
https://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/machines/#MotoGP

 さて「日本のバイク遺産 MotoGP 伝 1」(1/2020モーターマガジン社)119頁の表では2004年から22リットルになったことになっています。
 一方、同書51ページ「2004年型の燃料タンクは~張り出して容量を稼いでいたが、2005年型にはこの張り出しはないことがわかる。車両規定の改訂により、最大容量が24から22リットルに減ったのと~のが主な理由だろう」とあり、2005年から22リットルになったかのような記述になっています。

 この書(ムック)は、バイカーズステーション誌の過去の記事を寄せ集めたもので、2008年型ヤマハYZR-M1のオイルクーラーが水冷式という誤りもそのまま掲載されています(当時の掲載号の翌月号で訂正が入った)。つまり、本書は過去の誤りを校正せずに掲載しているので、119頁も51頁も信用できないのです。

続く(いつになるか)。
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ヤマハTD-3は湿式クラッチ?

ヤマハ・コミュニケーションプラザのTZ250の説明
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/racing_tz250/ 
「250㏄市販ロードレーサーTD-3の後継モデル~乾式クラッチも新たに採用した」とありますので、TD-3は湿式クラッチのように書かれています。
 で、展示されているTD-3の動画
https://www.youtube.com/watch?v=EBTv6F5s4wk
では乾式クラッチであることがわかります。

 私の記憶ではTD-3は乾式クラッチが基本仕様で、国内向けTD-3が湿式クラッチでした。

 で、TZ250の排気量が「247㏄」で、ボア×ストロークが同じTD-3が
https://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/cp/collection/racing_td-3/
なぜか248㏄になっています。

 で、TD-3がヤーノ・サーリネン、ディーター・ブラウンのタイトル獲得に貢献したように書かれています。1972年、サーリネンはシーズン当初TD-3に乗り、後にTZ250プロトタイプというべきYZ635が与えられました。そして1973年、ブラウンはシーズン当初はTD-3に乗っていたようですが、後にTZ250(あるいはTD-3にTZ250エンジン搭載)に乗りました。
 これは1973年のブラウンのマシン。https://www.alamy.com/stock-photo-braun-dieter-221943-german-businessman-and-motorcycle-racer-at-a-race-48320271.html

マイク・ヘイルウッドの年齢

今月号のバイカーズステーション誌114-115頁に1961年マン島シニアTT(500㏄TT)の記事があります。非常に読みやすい記事ですので一読をお勧めします。

 で、優勝したマイク・ヘイルウッドの年齢が22歳になっていますが、21歳の誤りです。ちなみに記事にあるジュニアTT(350㏄TT)で優勝したフィル・リードが22歳でした。

カワサキのユニトラックとティレル007

公開公正でRACERS Volume 42 を取り上げています。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei23.htm


 その中で車体設計者の平松氏が1976年F-1選手権イン・ジャパンで見たブラバムBT45のサスペンションにヒントを得てカワサキKR250のユニトラックサスペンションの形を思いついた記述が誤りであり、実は平松氏が見たのは8月4日のティレル007のテストであろうと推測していました。
 
 で、ティレルの写真がリンク切れになっていたので、リンク先URLを修正しています。

https://www.flickr.com/photos/38921598@N05/4327656393

RACERS Volume 55

 http://jfrmc.tou3.com/%EF%BD%8A%EF%BD%86%EF%BD%92%EF%BD%8D%EF%BD%83%E5%86%85%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B/nr500%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%96%E6%8C%9F%E8%A7%92

で、RACERS Volume 54と、「ホンダNRストーリー」(1992年山海堂)の食い違いについて書きました。Volume54と55に掲載されたバルブ挟角55度ヘッドの写真等からすると、NR500のバルブ挟角に関するRACERSの記述に誤りはないという結論になりました。

 一方、ホンダNRストーリーの記述も誤りというわけではなく、15頁と54・55頁の記述に時期が書いていないために、私が誤解したという結論です。

「K0→初期0Xの段階では、吸排気バルブの挟角は65°に設定されていた~後に55°ヘッドが製作されることになる」(15頁)。
 「デビュー戦イギリスGPとフランスGPの2戦を終えたNRメンバーは、早速NR500に生じた問題点の対策を開始した」
「シリンダーヘッドに関しては~バルブ挟角が55°から~40°に変更され、65°のときには110PSであった出力が55°のときには113PSに上がり、40°ではさらにどんどん向上していったのである」
「'79年末の時点では、エンジン出力もコンスタントに115PSを上回るようになったのである」(以上、54~55頁)

 これらの記述からすると「65度ヘッドのマシンがイギリス・フランスに送られる一方、日本では55度ヘッドの製作が進行しており、帰国後に55度ヘッドのマシンがテストされ、その前後に40度ヘッドのエンジンの設計開始し、1979年末には40度ヘッドエンジンがテストされた。」ように思えます。

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