レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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買いました。
http://www.modelfactoryhiro.com/new/archives/21942
「RC174は、250ccのRC166のエンジンを元に
ボアサイズを同一のままストロークをアップすることで350ccにしていることから、エンジンの外観はほとんど見分けがつかないほどRC166と酷似しています。車体に関してもRC166との共通パーツが多く、
大きく異なるのはガソリンタンクくらいであり、RC166の丸みのある形よりも角ばったデザインになっています。フロントフェンダーステーも穴の形状に違いが見られますが、
それ以外では簡単に見分けられないため、本書はRC174の写真がメインとなっておりますが」
とありますので、また間違いだらけの解説が流布されるのかと思いましたが、その懸念は払拭されました。何しろ解説がないのです。自らの限界を認識したかのようなこの潔い編集方針に感動しました。無駄な活字スペースの代わりに写真がこれでもかと掲載されています。そんな訳で「買い」です。
参考までに、掲載されているのは順に
ゼッケン3+ストリップ:RC174F-302(このフレーム番号プレートが写真に写っている。エンジン番号は不明。)
(少し写っているゼッケン60はRC174E-802/RC174F-301(推定))
ゼッケン7:RC166E-102/RC166F-102(推定)
エンジン単体:RC165-102(推定。「E」の刻印はかつてはなかったは今は?)
マシン細部:RC166E-102/RC166F-102(推定)
ただし、動態保存という名の新造エンジンがありますので、写真はご参考程度に。
参考
http://jfrmc.ganriki.net/rc166/rc166-3.htm
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見てきました。神戸で展示されるのは最後でしょう。神戸の展示状態(自然光等)はかなり良いようです。神戸の後、リニューアル後の「かがみはら航空宇宙科学博物館」で展示されますが、かがみがはらから出ることはないでしょう。かがみがはらでどんな状態で展示されるかわかりませんので・・・
今回、修復を行ったのは川崎重工の有志の方々ですが「よくぞここまで」と思います。感動のあまり少し涙が出てきました。歳をとったせいかもしれません。
展示された飛燕の経歴については、こちらに詳しくまとめられています。
http://dansa.minim.ne.jp/CL-Ki61.htm
主翼が切断されたことも・・・文化財ではなく単なる「出し物」として扱われてきた歴史です。
今回、やっと志を持った方々に修復され、文化財として保存されることを嬉しく思います。今回の修復→展示の意義。
二輪の世界ではかつてのレーサーの複製品が当時のものであるかのようにメーカー展示施設に展示されることがあります。新造エンジンのレーサーが「動態保存」ということにもなっています。
新造エンジンを否定するのではありません。新造エンジンによって当時の排気音に近いであろう音を楽しむことができるのですから。
しかし、古い二輪車が単なるメーカーの宣伝道具ではなく文化財であるなら、展示にあたってはは、その個体の由来を含めて事実をありのままに示すことが必須だと考えています。

http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/history/p01/
「その転機となったのは第4戦東ドイツGPでした」→「西ドイツ」の誤り。なお西ドイツGPは世界選手権としては第5戦だったが、250㏄クラスに限れば第3戦。
http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2015/700win/history/p03/
「350ccクラスは、RC172が8戦6勝を挙げて」→「7戦5勝」の誤り。最終戦になるはずだった日本GPは出走3台のみのため、世界選手権とは認められず。
「途中、負傷したレッドマン選手に代わり、ヘイルウッド選手が500ccクラスにも参戦するなどのトラブル」→本来、ヘイルウッドもシーズン当初から500㏄クラスに出場するはずだったが、500㏄第1戦西ドイツではレギュレーション(1日総走行距離規制)により欠場。第2戦オランダ、第3戦ベルギーでは出場しリタイア。第3戦ベルギーで負傷したレッドマンの代役で第4戦以降出場したのではない。
写真説明「ジム・レッドマン選手 (#103)、マイク・ヘイルウッド選手 (#104) / RC181 (1966年 東ドイツGP)」→「3RC165(1966年 西ドイツGP)」の誤り。250㏄クラスを500㏄クラスと間違えるか。
ついでに
http://www.honda.co.jp/WGP/spcontents2016/50years/?from=copy
NS500の優勝回数13回とあるのは14回の誤り。
1982 スペンサー2勝 片山1勝
1983 スペンサー6勝
1984 スペンサー2勝(他の3勝はNSR)、マモラ2勝(他の1勝はNSR)
1985 マモラ1勝
ひょっとしたら、ライター氏は「1984終盤のイギリスGP、マモラがNSRで優勝したので、最終戦サンマリノでのマモラの勝利もNSRによる」と勘違いしたのかもしれない。

某イベントの駐車場にて。お隣の軽ワンボックスや前の2台と比べると一目瞭然ですね。
NDの空気抵抗係数Cdは0.33程度(屋根閉状態)かなと思いますが、車高が低いので、CdAはヴィッツより小さいのではないでしょうか。
低車高ですが、慣れると乗り降りも全く苦になりません。購入後1か月くらいは、少し腰が痛くなりましたが、すぐ慣れました。
何より乗っていて楽しいのが一番。ゆっくり走っていても楽しさがあります。オプションのCDも作動することを確認しただけで、運転中に使用したことはありません。
オールドタイマー誌に現存する昌和クルーザーSL 125㏄が掲載されていました。現オーナーの富成さんが入手された経緯を知り、その熱意にも敬意を表する次第です。
記事で気が付いたことがあります。現存マシンのフェンダーの「L6」ですが、35頁の写真のゼッケン101のマシンにも書かれています。隣のマシンにも「L8]と書かれています。レーシングマシンでは、ナンバープレートのあるマシンと異なり、個体を区別するためにフレーム番号が重要になります。フレーム番号自体は大した意味がなくても、現場で区別するために意味があるという意味です。
1960年代のヤマハファクトリーマシンは125:RA~、250:RDですが、
エンジン番号 フレーム番号
RA A~ R~
RD D~ R~
でした(「~」は数字)。
このマシンは「SL」なので、ヤマハの例に倣うなら、「L6」はフレーム番号ではないか、それを分りやすくするために(車体を識別しやすくするために)フェンダーに書いたのではないか、という気がします。そうならエンジン番号は「S~」になりますね。
なお、SL に関係ありませんが、33頁、コレダRBはピストンリードバルブではなくピストンバルブ、カウル付ではなくカウルなしです(カウル付は練習車RAです)。