ちょっと遅くなりましたが・・・BS12の実況放送を見ました。
ヤマハファクトリーの参戦等々が注目されたレースでしたが、正にヤマハファクトリーのためのレースとなりました。ただ、何があるかわからない耐久レースで勝つべくして勝つ難しさが歴史で示されている中での優勝です。
スタートライダーを務めた中須賀がスタートで遅れるものの3位に上がり、2位のライダーを抜けそうなのに抜かない・・・アナウンサーは背後について燃費アップを狙ったとの見解。もちろん、それもあるでしょうが、私が感じたのは
勝つためのタイムを設定、その設定を守る
長いレース、一時の順位のため、無理な走りをして転倒するリスクは避ける
ということでした。そしてその方針が他の2ライダーにも徹底していたようでした。他のチームより長時間を要したピット作業時間も(各回すべてではないでしょうが)確実な作業と確認を重視したからとさえ思えます。
また、3人のライダーのペースが差がなかった(詳細データは確認できていない)のも勝利の大きな要因でしょう。
転倒したケーシー・ストーナーですが、ストーナーはスロットルトラブルと語り、HRCもそれを認めています。
http://itatwagp.com/2015/07/30/suzuka_8h_2015-9/
「ファクトリー」ということになっていますね。
レースそのものとは関係ないことですが、レース前の国歌演奏の時、スタート位置で座り込んでいる選手がいたように思います。
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本日発売でした。
細かいところはまだ読み込んでいませんが、最初のところで気になる記述。
●12頁
「'70年代中盤から’80年代初頭にかけて、全日本選手権ロードレースの頂点はF750選手権で、世界GP500に向けた大排気量マシンのフィールドであったが~」
言葉を省略しすぎで何を言いたいのかよく分らない。また国内規定はF750ではない。
「レースポイントの付与対象は20台以上販売する公認車両」
200台の誤り。「販売」は「200台販売可能」という解釈(市販車でも売れ残りがあるのだから)。TZ750やTZ500の国内販売台数が少ないので「200」を「20」の誤植と勘違いしたのか。あるいは「国内規定をF750と勘違い+認定可能生産台数25台を販売台数20台と勘違い」なのか。なお、F750世界選手権は1979年を最後に終了したが、その1979年には生産台数の規定は撤廃されていた。
「~'74年の販売以来、セニア750、その後エキスパート750と呼ばれていた~TZ750に乗っており」
TZ750が国内販売され公認されたのは1977年シーズンから。
●13頁
「'81年のスズキRG500の公認取得」
80年に公認取得(シーズン前だったのかシーズン序盤だったのか要確認)。
「'82年。スズキはXR35の市販バージョンと言われたRGBを駆る」
XR34の誤り。
「阿部孝雄」
孝夫。
●15頁
(写真説明)「XR35のフルコピーだった’82年型RGB500」
XR34の誤り。
「スクエア4のYZR500(0W54)~第2戦筑波」
0W60の誤り。また0W60の国内初登場は第3戦鈴鹿だった記憶。
●17頁
「'84年の水谷は~スズキから貸与された前年のRGΓを走らせる」
1984年型市販RGB500の誤り。88頁に(伊藤巧選手は)「’85年には~アルミフレームの’84水谷車(RGB改)にスイッチ」とある。
ちょっと読んだだけでこれだけ間違いを発見。間違いのレベルからすると、他の記述が大丈夫とはとても思えない。
ヤマハが1974-75に開発したが実戦に登場しなかった350㏄4気筒・0W24。
http://jfrmc.ganriki.net/ow24/ow24.htm
車体の写真が確認されていませんが、「これが350㏄4気筒ではないか」という写真がありましので、加筆しました。この写真です。
袋井テストコースのようですね。時期は~1974年シーズン前です。これが350㏄4気筒なら、The Motorcycle Classic誌の記述と異なり、遅くとも1973年末には開発が始まっていたことになります。あるいは取り上げたマシンとは別のマシンなのかもしれません。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei18.htm
で校正したヤマハのサイト
http://global.yamaha-motor.com/jp/showroom/yamaha-handling/list/vol02/01.html
等ですが、若干、記述が修正されていましたので、当方の頁にもその旨加筆しました。
修正されていることに気が付いたのは
2 3箇所(写真説明)だけです。
250㏄のTD-1C+ボーマンを125㏄の0W15+アンダーソン(アンデルソン)と間違えた記述もそのままです。
(7月11日追記)
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei18.htm 末尾に次の記事加筆。
〇「当時の全日本選手権は市販車ベースのマシンでなければ参戦できなかったため、市販レーサーTD-3と市販車DX250(写真)は多くの共通点を持っていた
TD-3が実戦に登場した1972年から市販レーサーも公認車両の対象となった。どんな市販レーサーであっても公認されればそのレーサーによるリザルトがポイント対象となる。つまり市販レーサーは一般市販車ベースである必要はなかった。こちらにも「※1972年からレース専用マシン解禁」とある。