金谷さんが亡くなられました。
私がバイクに興味を持った頃、すでに金谷さんはヤマハのエースでした。
1980年日本GPの直前、金谷さんが書かれたという
この本を本屋で見かけ、早速購入し、日本GPでサインをいただいたのですが、「もう買ってくれたの、ありがとう。(スロットルの)パーシャルってわかったかな~、読んだ人からわかりにくいって言われてるんや。」等々のお話をさせていただいことを、33年たっても思い出します。
そして、最後にお会いしたのは、2002年の袋井テストコースでのイベントでした。
私にとって、金谷さんはレースには厳しく、そしてファンには気さくでやさしいという印象しかありません。
1945年生まれということですから、まだ68歳、早すぎます。
謹んでご冥福をお祈りします。
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予定どおり行ってきました。単身赴任時代の2006年に行ってから7年ぶりです。
イベント前日の土曜日の予行が9時から始まりましたが、何とか間に合いました。関係者、招待者以外は中に入れないので基地南側へ。基地内展示機を見るのでなければ、こちらの方が逆光でなく見やすいのです。当日は天気もよく飛行の合間には居眠りしたくなるくらいでした。
予行が12時前に終わり、外来の陸上自衛隊のAH-1、OH-1、UH-1ヘリ、空自のC-1輸送機が飛んできました。そして2時30分頃に消防車が待機を始め、滑走路南側(基地内)を軽装甲機動車がパトロール、そして東側からオスプレイが飛んできました。陸自のヘリが遠くでも大きな音がしましたが、オスプレイは静か、というか遠くでは全く聞こえません。そして基地内に入った頃にローターを少しづつ上げ、音が大きくなります。ヘリモードで音が最大になりますが、空自のCH47ヘリ(2ローター)よりは小さく感じました。コンパクトカメラで撮影した画像はこちら。
翌日の本番は基地内にはいりますが、入場者は12万人とのこと。
F-15、F-2、F-4、UH-60、U-125の飛行を楽しみました。オスプレイの飛行展示はなく、そのまま帰投しますが、ヘリモードで離陸し、水平飛行に移ると騒音は激減します。
ところで新田原は交通が不便で、最寄の駅(日向新富)まで5kmもありますし、その駅往復のシャトルバスはありません。JRのシャトルバスはお隣の高鍋駅往復があるだけですし、シャトルバスの時間待ちは相当な時間を要することが予想されます。
そんなわけで往復とも歩きました。基地正門から駅正面まで片道50分です(私は早足)。実は7年前も歩いたのです。自分の足で歩く時間は最も信頼できますから。
12月1日に新田原基地航空祭が開催されます。
http://www.mod.go.jp/asdf/nyutabaru/airfestival/index.html
単身赴任時代の2006年に行ったことがあり、7年ぶりです。新田原基地といえば、飛行教導隊のF-15(それ以外も見どころがありますが)。
こういうイベントは天気が心配ですが、7年ぶりですから、懐かしさが先ですね。
また、オスプレイも展示されるようです。
http://www.the-miyanichi.co.jp/kennai/_2705.html
こちらで取り上げたカーグラフィック誌での宮川秀之氏の回想ですが、今月号もひどいですね。
1980年のGP500最終戦西ドイツGPでコースの安全性を懸念するスズキのルッキネリとロッシについて「とにかくスタートして2周し、後の判断は2人にまかせる。安全運転でいけ。」というような指示を2人に与えるよう現地のスタッフに伝えたこと、そして「レースを放棄するどころか、二人ともしっかり走り、ルッキネリはケニー(ヤマハ)にぴったり食いついて走り2位入賞」とのこと。
ケニー・ロバーツが優勝してルッキネリが2位みたいですが、実はルッキネリが初優勝でロバーツは4位です。そしてロッシは完走せず1周を終えたところでリタイアしています。
1980年の西ドイツGPが行われたニュルブルクリンクの北コースが1980年まで22.835kmで1981年から22.832kmとなったとのこと。
22.832kmは20.832kmの間違いだと思います。
1981年、スズキRGΓ500は第4戦フランスGPで登場、それまではRGB500で走ったとのこと。
RGΓ500は第1戦に登場しています。
1981年のポイントは1位ルッキネリ105点、2位マモラ95点、3位ロバーツ74点とのこと。
マモラは94点です。
こんなにいい加減な記事ばかりですと、どこまで信用していいのかわからない、というか「ほとんど信用できない」レベルだと思います。こんな記事が四輪誌で連載される意味が理解できません・・・ということはありません。雑誌はこんなものです。
今日のNHKニュースウォッチ9で、コンビニのことを取り上げていましたね。
1973年11月にセブンイレブンの日本法人が米国法人とライセンス契約を締結して40年になるのを記念してのことで、キャスターも記念式典(だったかな)に出席したようです。
いまどき、こんな番組をそのまま受け取る人がいるのかな・・・まあ、コンビニに夢を感じて、脱サラしフランチャイズ契約する方はいないと思いたいですね。
http://www.konbenren.net/seveneleven2.html