http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/f-750
で、今月号(2014-10)のバイカーズステーション誌106-107頁のF750についてのおかしな記述について書きましたが、F750レギュレーションに関する記述のネタ元らしき記述を発見しました。FIMのサイトにありました。
http://www.fim-live.com/en/sport/vintage/vintage-news-detail/article/1338967851-the-formula-750/
です。
まず、この中の
The following characteristics could not be changed: engine type, number of cylinders, piston stroke,
cylinder (four-stroke)
; cylinder, cast alloy and number of lights (two-stroke); alloy and shape of crankcases, cylinder head and gearbox, intake and exhaust system, primary transmission and number of gears.
です。バイカーズステーション誌での4ストロークと2ストロークのレギュレーションに大きな違いがあるという記述は、誤訳によるものと思われます。そもそも4ストロークと2ストロークで記述どおりの差があったらおかしいと気が付くべきです。
そして、
At the 1974 FIM Spring Meetings,
the Technical Commission decided to authorise the participation of the Yamaha TZ 750 OW 31. Although this machine was in fact a racing bike, over 200 units had been built, but the question was whether this motorcycle was in keeping with the real spirit of the competition.
The rule stated that motorcycles had to be produced in a minimum number of units, but there was no mention of homologation for street use.
を基本的にそのまま訳したために、1974年にTZ750がF750に出場できたとの記述になっています。
実はFIMのこの頁の記述は誤っているのです。
このあたり、おいおい整理して書きたいと思います。
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http://global.yamaha-motor.com/jp/yamahastyle/yamaha-handling/list/vol03/01.html
がアップされています。今回は4ストローク編です。
「まだ日本のメーカーが世界GPに血道をあげていた'67年、ホンダは初のDOHCヘッドをもったはじめての大型車、バーチカルツインのCB450を発表した」
CB450の発売は
1965年4月です。
他にもヤマハが2気筒で4ストローク500~750をそろえた1973年当時、スズキは2ストローク3気筒路線だったことを無視した
「他メーカーが
こぞって4気筒エンジン開発に走ったのに対し、ヤマハはアメリカで人気の英国車と同じバーチカルツインに手を染めたからだ」
記述もあります。何か時系列が無茶苦茶な文になっていますね。
ところで「
初のDOHCヘッドをもった
はじめての大型車」・・・・
今月号のバイカーズステーション誌106-107頁にF-750の記事があります。
1974年に登場したヤマハTZ750が1974年のF750に出場できたように書かれていますが、誤りです。F750の規格の記述が曖昧だったのですが、結局、出場できないと裁定されました。このため、デイトナ、イモラ等はF-750対象外として行われたのです。
F750のレギュレーションが2ストロークと4ストロークで異なるとの記述です。記述どおりであれば、4ストロークは市販車と同じ形式であれば一品造りのエンジンでもOKになりますね。
1975年のチャンピオンのフィンドレーのマシンがスズキになっていますが、ヤマハの誤りです。フィンドレー=スズキの思い込みがライター氏にあるようですね。
1978年の選手権が「有効得点」で決まったかのような記述ですが、「総得点」です。
写真説明中のファウのマシンがヤマハになっています。1978年、ファウはカワサキに乗っていたはずですが・・・
再び仕事で広州に行ってきました。
今回はちょっと違った風景を。
ネット上では被写体について解説があります・・・
これは建造中。奥の1隻も少し船首、艦橋を覗かせています。
これは多くの国で〇名高い海洋警察艦。
文化財保護法第2条でこの法律上の文化財を定義している。第2項のうち第1号では文化財を「建造物、絵画、彫刻、工芸品、書跡、典籍、古文書その他の有形の文化的所産で我が国にとつて歴史上又は芸術上価値の高いもの(これらのものと一体をなしてその価値を形成している土地その他の物件を含む。)並びに考古資料及びその他の学術上価値の高い歴史資料(以下「有形文化財」という。)」としている。
これを二輪に当てはめるなら、「二輪車(それを構成する部分、部品を含む。)、写真、書類、出版物であって、我が国の二輪の歴史上価値の高いもの」ということになろうか(建築物、工作物は他の号に関係)。
こんなことを考えたのは、スズキが保管している1980年型GS1000R(XR69)のカラーリングが、1980年当時そのものではないからである。
いろいろな雑誌等で触れられているが、RACERS Volume 28(2014三栄書房)では
「実はアッパーカウルの白ラインは'80年当時は1本だったんですけど、2本にしたんです。本当は2本がオリジナルのデザインだったんですけど、当時は時間がなくて1本しか入れられなかった。そのことをヨコさんに言ったら、昔塗った本人がそうしたいのならいいだろうってことになったんです」
と書かれている。
このマシンが二輪史における「文化財」なら、スズキから依頼を受けてレストアしたにも関わらず、1980年当時、実在しなかったカラーリングにした○○氏、それをOKしたスズキのヨコ氏、そして(結果的かどうかは別として)それを容認しているスズキは、二輪文化財を毀損したことにならないのだろうか。現存するGS1000Rが二輪文化財ではなく、単なるスズキの宣伝のための道具で、それらしくなっていればどうでもいいというなら、何も言うことはないが。