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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

マイ・ワンダフル・サーキット

出典はこちら
http://www.honda.co.jp/riki-san/talk14/
「一方Hondaでも、この「1958年」にはちょとした事件があった。イタリアから、本場ものの「ロードレーサー」が、社内にやってきたのである。その名は「モンディアル」 このメイクスは1954年頃からGPレースに参戦しはじめ、瞬く間にトップ・コンテンダーにのし上がった。そして、57年のマン島TTレースでは、125ccと250ccの両クラスで勝利していた。 」

 125㏄クラスの1949~1951年のチャンピオンマシンは、FB-モンディアルなのですが・・・

続いて、出典はこちら
http://www.honda.co.jp/riki-san/talk15/


「これにつづけて、年が明けるとすぐに(1959年1月)、Hondaはマン島にTTレース参戦のための視察団を派遣する~
「ただねえ、この調査もチョンボだらけでさ!(笑)」   
リキさんは、笑って付け加えた。 
その最大のミステークは、この調査団がリサーチの対象としたのが、マン島の「マウンテン・コース」だったことである。   
たしかにTTレースは、この有名な公道コースで行なわれる。しかし、このときHondaがTTレース初参戦でターゲットにしていたのは125ccクラスであり、このクラスは、もうひとつのマン島のレーシング・コース(公道)である、短い「クリプス・コース」でずっと行なわれてきたのだ」

 クリプスコースは、125㏄、サイドカーは1954年から、250㏄クラスは1955年から用いられたが、まさかホンダが自社の出場するクラスのコースではなく、350、500㏄クラスのコースを調査するチョンボをしたとは思えないが・・・「1960年から全クラスマウンテンコースになって、1959年のクリプスコースの経験が無駄になった」ことと勘違いしているのでは。

1 タルキニオ・プロヴィーニ MVアグスタ  10周 118.5km/h
  2 ルイジ・タベリ           MZ          10周 117.8km/h
  3 マイク・ヘイルウッド     ドゥカティ  10周 116.2km/h
  4 フューグナー             MZ          10周 115.7km/h
  5 カルロ・ウッビアリ       MVアグスタ  10周 114.6km/h
  6 谷口尚巳                 Honda RC142 10周 109.9km/h

1位の平均スピードは74.06mph(マイル毎時)なので、1マイルを1.60934kmで計算すると119.2km/h、1マイル1.6kmとすると118.5km/hで、上は後者の計算と思われます。
ところが3位以下は、1マイル1.60934kmで計算したようです
2位の速度はどう間違ったのか分りませんが、間違い。正解は、1マイル1.60934kmで計算すると119.0km/hで、1マイル1.6kmとすると118.3km/h。

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1961年の出来事

出典はこちらです。
マイ・ワンダフル・サーキットⅡ 鈴鹿から世界へ
http://www.f1-stinger.com/special/mwc/chapter02/talk18/

――デグナー選手は、当時の東ドイツから亡命という大事件を引き起こした後に、スズキのワークスライダーになったんですよね?

「それは1961年の9月、西ドイツで行なわれたGPのときのことでした。東独のMZに乗っていたデグナーが行方不明だ!というニュースが世界を駆け巡りましてね。日本では“デグナー”といわれても一般的な知名度はほとんどありませんでしたが、当時の欧米ではセンセーショナルな話題でした」
 
 西ドイツGPは5月開催で、東ドイツGPは7月開催。9月に開催されたのはイタリアGP、スェーデンGP。デグナーが亡命したのはスェーデンGP。こちらを参照。
http://www.iom1960.com/other/degner.html

――“MZ乗り”の名手、あの天才ライダーが“消えた”?

「略」

――いわゆる東西冷戦の真っ只中、“ベルリンの壁”が作られたのもこの1961年で、この年の10月には“キューバ危機”も起こっている。そんな時期の亡命というのは、よほどの決意ですよね。

 いわゆる「キューバ危機」は1961年ではなく1962年10月

「略」

――あ、そういえば《鈴鹿》の「デグナー・カーブ」って!?

「そうです、このセニア、50ccクラス10周でのレースでのことでした。前日の豪雨がウソのような快晴。スタートして、1~2周をトップで独走していたデグナー選手でしたが、S字コーナーから180Rの左コーナーを抜けた先、80Rの右コーナーで転倒しましてね~名手が転んだ!として、そのコーナーが“デグナーカーブ”と呼ばれるようになり、今日に至っているわけです」

 デグナーが転倒したのは4周目。

  
 まあ、キューバ危機の年を間違えるのは、少し恥ずかしいと思います。

風まかせ No40

タイトルの雑誌に、ビル・アイビーの記事があります。
例によって間違いが多いですね。購入しなかったので、記憶を頼りに書くと、

「1967年第3戦フランスGP250㏄」という写真説明は「1967年第4戦マン島TT250㏄」の誤り。
  
 アイビーについて「小さな巨人」、「ジャイアントキラー」と呼ばれたとあるが、初耳。高井幾次郎の「リトルジャイアント」と勘違いしているのでは。

 1966年のスズキ125㏄マシンをRT66-Ⅱとしているが、RT67-Ⅱ(スチュアート・グレアム用)、RT67-Ⅲ(片山義美用)の誤り。
 

 1967年125㏄のスズキチームにアンシャイトがいたようになっているが誤り。アンシャイトは50㏄のみの契約で、125㏄クラスは前年から貸与されているRT66を使用し、個人出場でドイツGP、イタリアGPのみに出場した。

 1968年の250㏄クラスとチャンピオン決定方法は「二者が1、2位に入賞したレースのレースタイムの合計で決定」ではなく、「二者が同時に入賞したレースのレースタイムの合計」の誤り。1968年250㏄、1972年50㏄クラス、いずれも結果的に「二者が1、2位に入賞したレース~」になっただけ。1953年125㏄のメーカータイトルは、二社が1-3位に入賞したレースのレースタイムもカウントされている。

 
 気筒数制限等が行われたのは、125㏄、250㏄については1969年ではなく1970年から、350㏄、500㏄については1974年から。

アイビーが亡くなったのは、「1969年東ドイツGP350㏄レース当日のプラクティスでの事故によるもので、7月13日」ではなく、「1969年東ドイツGPレース前日のプラクティスで7月12日」の誤り。

 ほかにもおかしな記事があったように思いますが、よく覚えていません。

 






日産の2人乗り電気自動車

夏に香川県の島々で開催されている瀬戸内国際芸術祭に行ってきました。というか、妻による瀬戸内海観光の付添です。
で、写真の日産の2人乗り電気自動車が走っていました。
   
これは充電スタンドで充電中の図です。
   
ドアはありますが、窓はありません。後席のシートは(触ったわけではありませんが)あまり柔らかくはないようです。

こういう事業のようですね。
http://www.softbankmobile.co.jp/ja/news/press/2013/20130710_01/

この車の仕様はこちら。
http://www.nissan-zeroemission.com/JP/NNMC/specs.html

この車が走っていた豊島(てしま)のように移動距離が10~20kmでちょこまか走り回るのは電気でいいのですが、郊外でしたら250㏄程度のガソリンエンジン仕様が欲しいですね。まあ、個人で所有するとなると・・・今はバイクがあるからいいですが、バイクに乗れなくなったら、こんな乗り物もおもしろいかもしれません。

市民のための環境学ガイド

「市民のための環境学ガイド」の中の

「新型HV車 続々と発表」
http://www.yasuienv.net/HVTrend.htm

に次の記述があります。
「なぜなら、リーフの電費は、114Wh/kmとされている。ガソリン的な表現にすれば、8.77km/kWhである。これに24kWhを掛けた値が、210kmになって、カタログ上はなぜか228kmになっている。」

 赤字の理由はカタログをみれはすぐ分るはずです。114Wh//kmは「交流電流消費率」、228kmは「一充電走行距離」です。交流電流蓄電池充電モーター(走行)の流れで、交流電流消費率は赤矢印、一充電走行距離は青矢印に関係する数値です。

 つまり114Wh/kmは、充電ロス等が含まれた数字であるのに対し、228kmは、充電ロスは含まれません。後者の数値が大きくなるのは当然です。

 
 
 この記事を書いた安井氏は、「交流電流消費率」の意味が分からなかったのでしょうか。まさか、交流と直流の区別がついていないなんていうことはないと思いますが。











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