レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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先日、昔の某誌をチェックしていたところ、懐かしい記事が出てきました。
某誌ではホンダCB125S(125cc単気筒)にレース用外装キットを組み込んだマシンを製作し1973年9月号に掲載しました。その燃料タンク上面に編集部員により英語の文字が書かれていました。そして、エンジンキットも組み込まれ(11月号)、レースに出場しました(12月号)。
写真は燃料タンク上面に書かれた文字で、1965年にホンダがロードレース世界選手権で全クラスで勝ったことが書かれています。
もちろん、1965年は1966年の間違いです。1966年から7年しか経っていないのに、1973年9月号で間違い、12月号でも間違いは訂正されませんでした。写真は12月号のものです。これらの記事に比べれば、最近の雑誌の間違いは可愛いものなのかもしれません。

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1998年、アッセンで行われたセンティニアル・クラシックTTをご存知の方も多いと思います。
このときは、ホンダ、ヤマハがメーカーとして参加、カワサキは清原氏が個人という形で参加しました。
このときの主催者はフェリー・ブラウアーで、彼は
http://www.yamaha-classic-racingteam.nl/
も主宰しています。
ブラウアー氏は今年の9月にこのようなイベントを開催することを計画しており、日本からもファクトリーマシンの参加を希望しているとのことです。
各メーカー以外にファクトリーマシンを所有されている方で興味のある方がおられましたらどうぞ。
エンジンテクノロジーという雑誌が山海堂から発行(季刊)されており、2年に1回、レーシングエンジン特集がありました。しかし、山海堂が2007年12月に解散し、本誌も休刊になっていましたが、新たに養賢堂から上のタイトルに改め発行されています。2010年4月号がレーシングエンジン特集です。
http://www.yokendo.com/julbook/engine/etr_02_01.htm
ホンダF-1、トヨタF-1については過去の号でも記事がありましたが、両社ともF-1から撤退した後ということもあり、これまでより一歩踏み込んだ記述があります。また、ヤマハYZR-M1についての記事もあり、ニューマチックバルブスプリングによる高バルブリフト、高バルブ加速度についての記述・グラフがありました。
お値段は1800円と高いかもしれませんが、興味のある方には必読だと思います。
1988年のスズキ500の機種記号はXR74とされてきましたが、RACERS Vol3では
XR73:1988年初期(下バンク排気管を車体両側出し)
XR74:1988年中後期(下バンク排気管を車体右出し)
となっています。
XR73というマシンの存在については、スズキの某関係者が作成した画像のリストで知っていましたが、エンジンなのか車体なのか明確ではなかったので、
http://www.geocities.jp/noda_keni/s/xr72/XR72.htm
では「XR72/74」としていました。
RACERS Vol3ではそのあたりをスズキの吉田氏に確認していると思われますので、
XR72/73に内容を改めます。

標題の雑誌を入手しました。
結論からいいますと、非常によくできています。
ケビン・シュワンツのRGV-Γが主題ですが、当時の貴重な写真が満載されています。現存するマシンの写真がないことに不満を持たれる方もおられると思いますが、現存するマシンが現役当時と異なっていることが少なくなく、それを前提にした解説がないならば、現役当時の拡大写真を掲載した方がよいと考えています。
記述もよくまとまっています。細かいところで気になる記述はありますが、おいおいチェックしていきます。なお、ボア・ストロークですが、スズキの某氏が作成したリストとは異なるものがありますので、今後、確認したいと思います。
ところで私がシュワンツの走りを最後に見たのは1995年日本GPです。レース前の豪雨でレース中止が懸念されましたが、小雨になりレースは無事に行われました。シュワンツはシーズン前に1995年限りの引退を表明しており、1995年日本GPゴール後1周するシュワンツに感謝の言葉を念じたのを思い出します。この時、一つの時代が終わったのです。