スズキのモトクロス・ライダーとして活躍された増田耕二さんのサイトがあります。http://www6.airnet.ne.jp/motox811/index.html
増田さんがスズキ→ホンダに行ったことは知っていましたが、スズキの前にカワサキにも乗っていたことは知りませんでした。
数年前の某誌のホンダNSR500特集の記事の集合写真にお姿が写っていた記憶です。すでにHRCを退職されて、悠々自適の生活を送られているようです。もちろん普通の「悠々自適」とはまったく異なる意味ではありますが。
で、このサイトでロードライダー誌のカワサキレーサー記事の立ち読みができます。
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バイカーズステーション誌2010-4にホンダRC149の記事があります。ホンダコレクションホールでレーシングマシン7台のストリップが展示されているのに合わせた企画です。細部が写った写真が多いのですが、あちらこちにおかしな記述があります。
81頁左列下から2行目「このときの125cc車が、ヤマハとスズキの2サイクル4気筒を打ち負かしたRC149なのだ。」→1966年のヤマハ、スズキは2サイクル2気筒。ヤマハ4気筒がアルスター、マン島のプラクティスは走りましたが、レースでは走っていない。ライバルが2気筒と4気筒では大違い。
82頁左列上から4行目「この改良型である2RC146を1964-65に走らせつつ」→1965年は4RC146。
同下から4行目「このボア×ストロークを持つ50cc2気筒は1963年の日本GPから走っている。」→1962-64は33×29、1965は34×27.4、35.5×25.14になったのは1966。
82頁中列上から4行目「変速機6段」→8段の間違いか?
82頁中列下半分「キャブレターが丸ピストンであること~ホンダの依頼によって今日ケーヒンが造った新品だからだ。」→1973年に公開された時点(キャブレター新造前)で丸ピストン。
83頁左列の⑩「ホイールベースが123.5cmという超ショートタイプ」→最新のホンダRS125Rのホイールベースは121.5cm、ヤマハTZ125最終型では124.2cm。つまり123.5cmは現在のマシンと比べても常識的な数字。
ほかにも確認が必要な記述があります。記事を書かれた佐藤氏は1986年の別冊モーターサイクリスト誌で、4号にわたるホンダRC特集の担当だったと思いますが・・・歳はとりたくないものです。私も記憶に頼っているとこんな間違いをするようになるのかもしれません。注意しないと。
昨日、紹介した標題の記事のうち、平松氏の記事は中尾省吾氏の手によるものです。
で、中尾氏自身のブログでこのことについて触れています。
http://nakaoshogo.exblog.jp/12773884/
いくつかの事実誤認も中尾氏が原因かもしれませんね。また、「私はメカニカルな話がサッパリ分かりませんからね、技術的な事になると目を開けたまんま寝てましたからね」とまで書かれると、怒る気にもなりません。むしろいい加減な記事なので信用するな、と言っているようで、もっともらしい間違いを書かれている記事よりましかもしれません。
ただ、永年、レーシングマシンの開発に携われた方への対応としてこれでいいのかといえば別です。
ロードライダー誌2010-4号を買いました。カワサキロードレーサー特集です。よくまとまっており、店頭で迷わず購入しました。
特にスズキ→カワサキ→ホンダの技術者だった平松氏の回想が興味深かったです。カワサキで印象深いのはやはりKR250/350で、JFRMCでも何とかしたいのですが・・・
写真の間違いですが、すぐに気が付いたのは、表紙の写真は1982 Austria→1981 Austria、24頁中段 1979 Belgium→1979 Spainぐらいでした。
さて、カワサキのユニトラック後サスペンションについて、平松氏は
「富士のF1でブラバムのフロントリンケージを見たんですね。BT44だったかなあ」
「何でF1レースに行ったかというと~小島松久さんが~KE007とゆうF1マシンで富士に参加してたんでボクとアベを手伝いに来いと呼んでくれたんですよ」
「ボクはブラバムのフロンとサスを見てピーンと来ましてね。すぐに試作に入りました。」
しかしユニトラックのKR250は1976年10月9-10日(250ccレースは9日)で登場します。一方、1976年の富士のF-1GPは1976年10月24日に行われています。ですから平松氏の記憶では辻褄が合いません。
さて、1974年11月上旬にブラバム、マクラーレン、ティレル、ヘスケスのF1が現役ドライバーの手によりデモ走行しています。
小島F-1は(記憶では)1976年夏以降、何回か富士でテスト走行しています。
(なお、平松氏は1974年9月にカワサキに移籍しています。)
平松氏の記憶はこれらがごちゃまぜになっている可能性があります。本当は取材時に確認すべきだと思いますが。
「浅間から世界GPへの道」(八重洲出版2008)の098頁にRP68エンジンの写真が掲載されています。お持ちの方はご確認ください。
写真の背景がJFRMCに掲載した下のRJ66クランクケースの写真と似ています。
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同じ場所で撮影したものである可能性があります。そうだとすると現存するRP68は3台である可能性も出てきます。