レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
鈴鹿サーキットの設計者 (ganriki.net)
に次の図を載せていました。
しかし、左列は右列を修正したものである可能性があること、右列では1~5に最終案のコースが薄く示されていることから、右列のみを掲載し、関係する文を修正、加筆しました。
OW70 YAMAHA (ganriki.net) を公開したのは2002年ですから、22年前ですね。
最近になって海外の方から、シーズン前公開写真等に写る燃料タップが見えにくいという意見をいただきましたので、次の写真を追加しました。
タップユニットがキャブレターより下にあるので、フレーム内燃料タンク内の燃料全てを消費することはできません。100~200ml程度が残ってしまいます。
Honda C72, C77, C114 and CB72 – ホンダ広告アーカイブ (4-stroke.nl)
1961年マン島TT125㏄で優勝したマイク・ヘイルウッドの写真がありますので、1961年後半のものではないかと思われます。
この時点でHET MOTORPALEIS(ロッテルダム)とRAMO(エイントホーフェン)がオランダのホンダ輸入元でした。
1960年オランダGP(6月)でヒューベルツがホンダ250㏄4気筒(RC161)に乗りましたが、これはHet MotorpaleisのHans Moerkerkがヒューベルツに乗車機会を与えたとされています。
これはMoerkerkが
〇ホンダからいいライダーを紹介するよう依頼された
あるいは
〇ヒューベルツに250㏄4気筒を与えるようホンダに依頼した
のどちらかでしょう。1960年6月時点でMoerkerkのHet Motorpaleisがホンダ輸入元なら、これぐらいのことは当然だったと思います。