レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
自動車を走らすガソリンの燃費はどうやって計算するんだろう?【すごい物理の話】 - Yahoo! JAPAN
この記事の元になった「眠れなくなるほど面白い 図解 すごい物理の話」は読んだことはないのですが、この記事の用語、「空気抵抗力」、「転がり抵抗力」、「エンジンの推力」は違和感があります。
また、「車が高速道路を時速100㎞の一定速度で走行しているとしたとき、推力は車にかかる抵抗力(=空気抵抗力+タイヤと路面の間の転がり抵抗力)と釣り合うだけのパワーを出しています」
は、言葉が足らないのか、ライター氏の理解が悪いのかは分りませんが、パワーの意味がおかしいです。
で、計算(四則演算)はおかしいとは思いませんが※、「100㎞を9・6リッターで割ると、10.4㎞/Lと計算できます。」は実例としては?です。ハイブリッドカー以外のガソリン車であっても、2000㏄以下の乗用車であれば今時こんなに燃費の悪い車は少ないでしょう。
しかも、この計算値は実際に高速道路を走る条件ではなく、WLTCの「高速」でもなく、「平坦路100kmを無風状態・一定速度走行」という、テストコースのような条件でのものです。
ということは、計算のために設定された幾つかの値に現実を反映していないものがあるのです。
「自動車技術ハンドブック 1 基礎・理論編」(自動車技術会2015)に掲載されたグラフからすると、2000㏄クラス乗用車の時速100km時走行抵抗は500N辺りですので、記事の数字とほぼ同じです。
とすると、食い違いの大きな原因は熱効率の設定かなと思います。
・・・・・・
※計算はおかしくありませんが、まわりくどい計算をしていると感じます。時速100kmで1時間走るのに必要なエネルギーを算出するのに
抵抗を設定→出力を計算→出力×時間=エネルギー量
で計算していますが、もっと簡単に
抵抗×距離=503(N)×100×1000(m)=5.03×10000000(J)
と計算すればいいのにと思います。
(記事では10の7乗が107と表記されてしまっています)
「汚れた英雄」のモデルにもなった “伝説のRacingチーム”を知っていますか? “最速の男”たち、 “本物の男”とは、何と“謙虚な人々”なのか「素晴らしき人間性」に恐れおののく、日本、レース界のレジェンドが一堂に会す!|ワールドジェットスポーツマガジン (wjsm.co.jp)
多くの面々の中で、私が現役時代の走りを見たのは、片山さん、水谷さん、清原さんです。ただ、片山さんは早くから世界GPに参戦しており、1976~1980年には日本国内レースで走りませんでしたし、ホンダと契約してからも日本で走るのは限定的でしたから、私が見たのは1982年日本GPプラクティス(レースは台風で中止)、1984年日本GPだけでした。
ただ、1979年にお会いしてサインをいただき、握手していただいたのが大きな思い出です。
いろんなイベントで走るのを見たのは本橋さん、北野さん。宇野さんもあるイベントでお見かけしたことがあります。
ところで、記事中、本橋さんの紹介で、
「1966年(昭和41年)日本125cc3位、1967年(昭和42年)マン島125cc3位、日本250cc2位と、GPレースで3つの表彰台を獲得した。」
とありますが、赤字は250㏄の誤りです。
ヤマハの公式サイト
本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
でも間違えていますので、この間違い記事を引用したのでしょうか。
ヤマハの公式サイトでも、こちら
1966年 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
では、本橋さんが1966年日本GP250㏄で3位入賞したとしています(正解)。
ただし、「The Riders & The Machine」の250㏄マシンでRD05Aとなっているのは誤りで、本橋さんとMike DuffはRD56、他のライダーがRD05です。そう、リード、アイビー、長谷川が水冷70度V型4気筒のRD05に乗ったのに対して、本橋さんは空冷並列2気筒のRD56を与えられ3位入賞したのです。
1966年日本GPでの本橋・ヤマハRD56
リサーチ法 | モーター法 | |
イソオクタン(2,2,4-トリメチルペンタン) | 100 | 100 |
シクロペンタン | 101.3 | 85.0 |
ハンス=ゲオルグ・アンシャイトがMotoGP殿堂入り。1960年台にスズキで3連覇を成し遂げ活躍(オートスポーツweb) - Yahoo!ニュース
式典の様子。
Hans-Georg Anscheidt MotoGP™ Legend Induction Ceremony | 2023 #GermanGP - YouTube
画像等にスズキRK67Ⅱ(2ストローク50㏄2気筒)が写っています。1968年に入りスズキはGPからの撤退を発表しましたが、アンシャイトはスズキから貸与されたRK67Ⅱに乗り50㏄タイトルを手にしました。そのRK67Ⅱはまたアンシャイトの元にあるようです。
記事の中で「1年目はランキング2位、2年目も2位で終えると、3年目は3位を獲得し、4年目からは50ccと125ccにダブル参戦。5年目の1966年にスズキとともに最初のタイトルを獲得すると、1967年、1968年に連続してチャンピオンに輝いていた」とあります。
赤字のところについて補足します。
アンシャイトは50㏄クラスのみクライドラーと契約していたのですが、1965年50㏄クラス、スズキ、ホンダが早くなりクライドラーではとても対抗できなくなってしまい、第4戦フランスを最後にクライドラーはレース活動を休止、アンシャイトは乗るマシンがなくなりました。
レースに飢えていたアンシャイトは個人所有のMZ125(MZエンジンをクライドラーのフレームに搭載)したマシンでシーズン終盤のイタリアGPに出場し、5位入賞しました。
そして、このイタリアGP直後にスズキから声をかけられ、最終戦日本GP50㏄にスズキ2気筒RK65で出場したのです。
そして、1966年に向けスズキと50㏄クラスについて契約したのですが、125㏄のRT66も貸与され2GPを走りました。そして1967年も125㏄クラスで2GP走り、1968年も年間ランキング表からすると2GP走ったようです。
これが「4年目からは50ccと125ccにダブル参戦」の125㏄参戦の実状です。
アンシャイトが乗ったスズキレーサーについてはこちら。
RK66 SUZUKI (ganriki.net)
アンシャイトの自伝です。私は1975年に普通に本屋で注文して入手しました。
アンシャイト・メニュー (iom1960.com)