レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
レーシングマシンのフレーム番号は
〇通関時に必要だから打刻
〇マシンを管理するために打刻
するだけのもので、フレームを交換しても、新フレーム番号は旧フレーム番号を踏襲することもあります。
ただ、あるGPにおいて、同一フレーム番号のマシンが2台存在することは考えにくく、レーシングチームではマシンをフレーム番号で区別して管理、様々なデータを記録するのが通例です。
一般市販車ではナンバープレートが目立つ場所にあり、1台1台登録番号が異なりますが、レースの現場で、あるライダーに与えられた2台(以上)のマシンのゼッケン番号は同じなので、ゼッケン番号では区別できません。プラクティスではどちらか1台に「T」が付けられ区別可能になることがありますが、「T」マシンもレースでは「T」マークは剥がされ、もう1台と区別できなくなります。
その一方で、フレームに打刻された小さなフレーム番号を確認するのは面倒です。
そこで、レーシングチームの方針として、2台(以上)のマシンを区別するためにフェアリング、ステアリングトップブリッジ等に何らかの印が付けられることがあります。
1986年のラバードのマシンを観察すると、第1戦スペインを除きフェアリングの前ゼッケン、テールカウルに短い黒線があります。
1本線
2本線
Carlos Lavado (highsider.com) の写真をトリミングしています。
また、プラクティス時にゼッケン数字の傍に「T」があるマシンは、確認できた範囲では全て「2本線」でした。
考えられる1本線・2本線とフレーム番号の関係は
YZR250-B-601→1本線/YZR250-B-602→2本線
YZR250-B-601→2本線/YZR250-B-602→1本線
のどちらかですが、前者の可能性が高いでしょう。後者ですと、チーム内でマシンの取り違えを起こす可能性が高まります。
さて、ライダースクラブ誌1986-11のラバードのインタビュー記事でラバードはパワーバルブエンジンと無パワーバルブエンジンの使い分けについて次のように語っており、ラバードがパワーバルブエンジン搭載車と無パワーバルブエンジン搭載車の2台をプラクティスで乗り比べていました。
「私のYZRは1台にはYPVSがつき、1台にはついてなかった。プラクティスで2台を交互に乗り込んで、そのサーキットに合った、タイムの良い方のマシンで走っていた」
世界GP及び世界GP後の日本GP(鈴鹿)とスーパースプリント(富士)の写真、映像から、車体とエンジンのパワーバルブの有無を調べたところ、確認できた範囲では
1本線の0W82(おそらく601) パワーバルブエンジン
2本線の0W82(おそらく602) 無パワーバルブエンジン
でした。例えば、上に示した前ゼッケン「1本線」の写真はオランダGPプラクティス時のものですが(再掲)、
前ブレーキレバーの前方にパワーバルブコントローラーのプーリーから伸びる2本のケーブルが写っています。
しかし、前回紹介した現存する602はパワーバルブで、私がかつて確認した601は無パワーバルブでした。
考えられることは
1 スーパースプリントの後、エンジンを積み替えた。
あるいは
2 実は1本線:602、2本線:601である。
確たる証拠はありませんが、私は1の可能性が高いと思います。
(続く)
しかし、
諸説あるホンダ"CB"の語源 (bike-lineage.org)を読むと、CLUBMANとしか考えられません。この記事でホンダの原田義郎さんの証言(オートバイ誌1962-11)も紹介されています。そもそも「CA」の「A」が「アメリカ」を指し、「CS」の「S」が「スポーツ」を指すのに、「B」に意味がないというのはおかしいと思います。そして、1958年に第1回モーターサイクルクラブマンレースが開催されたという時代背景も考慮しなくてはなりません。
私自身は2006年4月29日にHondaウエルカムプラザ青山で行われたイベントで、原田義郎さんが「CBはCLUBMAN」と語ったのを聞きました。
イベントの様子。
一方、カワサキ「Z」は先の
車名の由来に「へぇ!」と驚く? 「ホンダCB」&「カワサキZ」トリビア的事実 | モーサイ (mc-web.jp)
では、「究極」だそうです。
私が2016年に、開発責任者だった大槻幸雄さんに直接お聞きしたところでは「Z旗のZ。ホンダCB750に勝てる必勝マシンの意味」でした。
カワサキとして公式にアナウンスしにくいかもしれませんね。
ヤマハは1973年、1975年に250ccファクトリーマシン0W17を走らせましたが、1976年以降、市販レーサーTZ250、あるいはTZ250エンジン搭載車が250cc世界選手権を走るヤマハ車でした。そして、1982~84年はヤマハ車に乗るライダーがタイトルを手にしました。
しかし、1985年、ホンダが世界選手権250ccクラスにファクトリーマシンRS250RW(NSR250)を登場させ、フレディー・スペンサーが第9戦までに7勝を挙げるようになると、ヤマハ市販レーサーベースのマシンではホンダに対抗することはできなくなってしまったのです。
そして、第10戦イギリスで待望の250ccファクトリーマシン・0W82が登場、カルロス・ラバードに与えられました。
これは0W82の1986年シーズン前公開写真です。エンジンは0W81・500㏄V型4気筒のエンジンの右側半分のような250cc2軸60度V型2気筒で、後気筒は後方排気でテールカウル内にサイレンサーがあります。
ラバードは第11戦スエーデンでも0W82に乗りましたが、この2GPでは優勝できず、最終戦サンマリノではTZ250に乗り優勝しました※。
そして1986年、世界GPでヤマハはラバード、マーティン・ヴィマー、平忠彦の3人に0W82を与え、ラバードが6勝を挙げタイトルを手にし、平も最終戦サンマリノで優勝しました。
この頃、ヤマハの2ストロークレーシングエンジンといえばパワーバルブ(YPVS:ヤマハ・パワー・バルブ・システム)が装着されるのが当然だったのですが、1986年型0W82にはパワーバルブの無い仕様もありました。
上に示したシーズン前公開写真のマシンのエンジンは、無パワーバルブ仕様です。
もちろん、実戦ではパワーバルブ仕様も登場しましたが、ラバードがレース毎にパワーバルブエンジンと無パワーバルブエンジンを使い分けしていたことが当時から知られていました。
現存するYZR250-B-602(フレーム番号)です。
Carlos Lavado Yamaha YZR250 | With Phil Anysley | MCNews
このエンジンはパワーバルブ仕様ですが、ラバードの無パワーバルブエンジンとの使い分けについて
He used this bike, which was fitted with power-valves, for wet weather races, winning two. His other bike, with no power-valves and used for dry races, had four wins.
と書かれています。
1986年、ラバードが優勝したのはスペイン、ドイツ、オーストリア、ユーゴスラビア、オランダ、スエーデンで、ウエットレースだったのはスエーデンだけです。
他のウエットレースはベルギー、イギリスで、ベルギーではリタイア、イギリスでは2位でした。
ですから、上の記述は誤りです。また、ウェットレースだったスエーデンでは無パワーバルブエンジンが使用されたものと考えています。
ただ、
パワーバルブエンジン:2勝
無パワーバルブエンジン:4勝
に関しては、そのとおりだと考えます。
・・・・・・・・・・・
※
ヤマハ世界GP500勝記念サイト
Movistar Yamaha MotoGP |Bikes
では0W82の優勝回数を「8」、優勝年を「1985、1986」としています。これは1986年の0W82の7勝に加えて、1985年のサンマリノGPをカウントしたものです。
誰が編纂したのか知りませんが、当時のヤマハ自身の記録どころか雑誌や年鑑の記事を調べることなく、「0W82は1985年イギリスグランプリで登場したのだから、それ以降の戦績は全て0W82によるもの」と決めつけて数字を「創造」したのでしょう。この程度の方が編纂していますので、他にもかなり誤りがあります。
これは1985年最終戦サンマリノの映像です。
2分40秒あたりから見ると、ラバードのマシン下側左右に排気サイレンサーが見え、テールカウルにサイレンサーが見えないので、明らかにTZ250( 直列2気筒)と分ります。ただし、1985年型TZ250はスチールパイプフレームですが、ラバードが乗ったのはアルミ・ツインチューブフレームのTZ250プロトタイプです。
(続く)