レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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という記事がこちらにありました。
https://togetter.com/li/1373687
原文は
”The big surprise that awaited Honda when they arrived on the IoM was that the riders had spent months learning the Mountain Course, using a translated Geoff Duke TT riding guide, only to find out that the 125 race would be run on the completely different Clypse course!”
日本語訳は
「マン島に到着したホンダの一行はとんでもなく驚くことになる。ホンダのライダーたちはジェフ・デュークによるTTライディングガイドを翻訳したものを頼りに何か月もかけてマウンテンコースを学んでいたのに125は全く違うクリプス・コースで行われることが判明したのだ!」
監督だった河島喜好氏の寄稿記事(モーターサイクリスト誌(1962/1~1962/3号)によると、
〇1959年1月に新妻氏とビル・ハントが調査のためイギリス、マン島に行った。河島氏も同行してコースを見たいと思ったが、行けなかった。
〇実際にマン島に行ってみると、想像したのと実際に見たのとは大違い。新妻氏の説明が悪かったのと河島の聞き方が悪かったのとの両方が原因。
現地調査はデュークのガイド本だけを持ち帰るだけの簡単なお仕事ではありません。コースを下見するのは当然です。また、主催者、あるいはそれに近い関係者からもヒアリングします。MFJがないのですから、ライダーのライセンスをどうしたら取得できるか、出場申込をどのように行うか、現地でマシンの整備はどこでやるのか、プラクティスの日程は・・・いくらでも調査することがあります。そんな彼らがクリップスコースが軽量級で用いられることを知らないはずがないのです。
原文を書いたMat OxleyはホンダがTT出場までにどんな準備をしたかを知らないのでしょう。あるいは(飯田氏にインタビューしたようなので)飯田氏自身が勘違いしている可能性もある。何しろ60年前のことですから。
それ以前にTTレースの1か月も前にマン島に到着し準備をしようというホンダがこんな勘違いをしていたという考えがおかしいことに気が付かないのですから、ジャーナリストとしてのセンスを疑うところです。
なお、クリップスコースが用いられたのは1959年が最後になるのですが、河島氏によると「1960年の春も近くなる頃に1960年のマン島TTは軽量級もマウンテンコースで行われることが発表され、しまったと思った。1959年のマン島遠征では観光のためにマウンテンコースを1周しただけで、詳しく調べていなかったから」ということです。この話がOxley氏の頭の中で、ホンダチームが1959年のTTの前にクリップスコースが使われることを知らなかったことに化けたのではないでしょうか。
参考 ビル・ハントの走行写真の地点をCregとしているのは正解です。この地点は間違いなくCreg-ny-Baaで、Creg-ny-Baaを略してCregということがあります。訳者が勝手にクレッグコーナーとしているのは困りものですが。
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