忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

日本のレーシングモーターサイクルの歴史

Yahoo!オークション - 1973年12月 モーターサイクリスト1月号臨時増...

1000円・・・当時の価格と同じです。


 1973年12月、本屋で見かけてすぐ購入、読み倒しボロボロになることが確定したので、1975年に本屋に注文してもう1冊を永久保存用として確保しました。

 記述の間違いはかなりあります。
 巻末の世界GPの記録も誤植がありますので、引用する時はレース距離、レースタイム、最高ラップタイム、平均速度等の検証が必要です。


 執筆者の一人である「いわた げん」(本名:神田頼樹、故人)に1997年にお話しを伺ったことがありますが、執筆にあたってホテルに缶詰めになったそうです。
 そのいわたげんさんは、2007年にイタリアでアプリリアのテスト中に転倒して重傷を負い、入院生活を送られていましたが、2018年に亡くなられました。

(2) 二輪文化を伝える会 - 古い雑誌などの資料を見ていると、度々 いわた・げん さんの記事が目に留まります。... | Facebook

 この本がなければ私がレースに興味を持つこともなかったと思いますし、その意味でこの本を出版された方々に感謝です。




PR

渡辺明(スズキ)

Amazon.co.jp: スズキ モーターサイクル史―2ストロークマシンの系譜 1952-1985 : 相原 俊樹, 自動車史料保存委員会, 自動車史料保存委員会: 本

の132頁の写真説明「1978年、渡辺明と~RA78」ですが、明らかに誤りですね。RA78なら後サスペンションが2本クッションユニットですが、写真のマシンはフルフローター(1980年に登場、1本クッションユニット)ですから。

 写真のマシンは1981年のRA81でしょう。

 さて、渡辺明は1978年125㏄MX世界チャンピオンですが、1978年11月前後でしょうか(1979年かもしれません)、NHKの番組で紹介されたことがあります。

 幾つかの記憶がごちゃ混ぜになっている可能性があるので、話半分で聞いてください。

 1976年頃、NHKのクイズ番組(たぶん「ホントにホント?」)に、回答者ではなく、クイズのお題関連で片山義美(日本GP優勝の4輪ドライバーとして)、鮒子田寛+マーチ752が出演したのを記憶していますが、これと同じ番組だったように思います。


 本人が出演したのではなく、走行映像が紹介されただけのような記憶です。私の両親に「この人、世界チャンピオンだよ」と話したのをはっきり記憶しています。

 番組のお題はMXではなく、バイク全般でした。

 バイクの逆操舵(例えば、左に旋回する時のきっかけとして、意図的にハンドルを瞬間的に右に切る)の映像があったりしたので、MXの映像はバイクのコントロールの難しさを語るためのものだったのでしょう。

 番組の終わりで、エンジン騒音が出ないように改造した(不細工な)ガソリンエンジンバイクをスタジオに持ち込み、こんなバイクだったらいいのに、というまとめ方をしており、NHKらしいなあと思った記憶です。

佐藤健正? 佐藤健生?

RACERS Volume 78を買いました。1981年のモリワキモンスター(モリワキ・カワサキ1000)特集です。

 1981年の鈴鹿8時間は現地観戦していましたが、ガードナーが予選でコースレコードを記録した時は興奮しましたね。パドックパスを買っていたので、この時はピットの屋根の上で見ていました。
 Wayneは英米ではウェインですが、予選のピットで、ガードナーの彼女らしい女性が「ワイン」と呼んでいたので、オージーイングリッシュなんだなあと感じたのも44年前の思い出です。

 64頁~に当時、モリワキの社員で、後に独立してオーヴァーレーシングを設立した佐藤健さんのインタビュー記事があります。健? 私が佐藤さんの名前を知ったのは1974年にノービス125㏄で活躍していた頃の雑誌記事からで、それ以降「健正」しか知らないのですが、64-66頁では全て「健」で統一されています。67頁の写真説明では「健正」ですが・・・

 最近のネット上の記事でも「健正」だし、ライターさんの誤記でしょうか?


 また、「’76年にはノービス125㏄でチャンピオンにもなっている」(64頁右列)は「’74年」の誤りです。


スズキGT750のキャブレター

スズキ モーターサイクル史(リンク) の終わりのところで、「スズキ モーターサイクル史 2ストロークマシンの系譜 1952-1985」でのGT750に関する記述の誤りについて書きましたが、さらに本書とGT750(リンク)でSU32となっているのはBS40の誤りと分りましたので、加筆しました。

スズキ モーターサイクル史 2ストロークマシンの系譜 1952-1985(2)

   公開校正に追加しました。

スズキ モーターサイクル史(リンク)

 読んでいておかしいと気が付いても、校正するとなると資料を確認しないといけないので、ちょっと時間がかかってしまいました。


 内容について一部補足します。

 1970年デイトナでスズキTR500(XR05)が優勝を逃したことについて、本書99頁に

「ロン・グラント~楽々と制するかと思われた~最終ラップで燃料切れに見舞われてしまう」

 とあります。本書が参考にした「Suzuki Motorcyces - The Classic Two- Stroke Era By Brian Long, Veloce 2018」110頁では

「~ran out of fuel on the last lap」

とあり、本書(日本語)はこれを訳したものです。

 しかし、このレースはCB750レーサーに乗るディック・マンが優勝、デイトナ200における初の日本車による優勝ですので、こんな展開ではなかった記憶があり、レース記録を確認した次第です。

 TR500がデイトナ200で首位を走りながら終盤にリタイアしたのは1972年です。原書の著者はこのレースの記憶と勘違いしたのでしょうか?

 当時のCycle Worldの記事 Daytona 72 | Cycle World | JUNE 1972

「With one lap left, and a 15sec. lead over 2nd place Don Emde, fate took over. Coming out of turn two, Perry’s chain snapped and the bike slowed to a halt,」
 
 ペリーが最終ラップにリタイアしたと誤解されることがありますが、最終ラップにチェーンが切れたのなら、残り1周ではなく残り(例えば)半周になります。レース記録でもペリーの周回数は優勝したドン・エムデ(プライベート・ヤマハTR350(空冷2気筒市販レーサー))より2周少ない51周(14位)でした。






カレンダー

12 2026/01 02
S M T W T F S
1 2
4 5 6
13
25 26 27 28 29 30 31

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[01/23 野田]
[01/20 野田]
[01/20 TFR_BIGMOSA]
[10/02 野田]
[10/02 平野克美]
[10/02 野田]
[10/01 平野克美]
[08/23 野田]
[02/01 Kuboi]
[01/19 野田]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析