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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

佐藤健正? 佐藤健生?

RACERS Volume 78を買いました。1981年のモリワキモンスター(モリワキ・カワサキ1000)特集です。

 1981年の鈴鹿8時間は現地観戦していましたが、ガードナーが予選でコースレコードを記録した時は興奮しましたね。パドックパスを買っていたので、この時はピットの屋根の上で見ていました。
 Wayneは英米ではウェインですが、予選のピットで、ガードナーの彼女らしい女性が「ワイン」と呼んでいたので、オージーイングリッシュなんだなあと感じたのも44年前の思い出です。

 64頁~に当時、モリワキの社員で、後に独立してオーヴァーレーシングを設立した佐藤健さんのインタビュー記事があります。健? 私が佐藤さんの名前を知ったのは1974年にノービス125㏄で活躍していた頃の雑誌記事からで、それ以降「健正」しか知らないのですが、64-66頁では全て「健」で統一されています。67頁の写真説明では「健正」ですが・・・

 最近のネット上の記事でも「健正」だし、ライターさんの誤記でしょうか?


 また、「’76年にはノービス125㏄でチャンピオンにもなっている」(64頁右列)は「’74年」の誤りです。


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スズキGT750のキャブレター

スズキ モーターサイクル史(リンク) の終わりのところで、「スズキ モーターサイクル史 2ストロークマシンの系譜 1952-1985」でのGT750に関する記述の誤りについて書きましたが、さらに本書とGT750(リンク)でSU32となっているのはBS40の誤りと分りましたので、加筆しました。

スズキ モーターサイクル史 2ストロークマシンの系譜 1952-1985(2)

   公開校正に追加しました。

スズキ モーターサイクル史(リンク)

 読んでいておかしいと気が付いても、校正するとなると資料を確認しないといけないので、ちょっと時間がかかってしまいました。


 内容について一部補足します。

 1970年デイトナでスズキTR500(XR05)が優勝を逃したことについて、本書99頁に

「ロン・グラント~楽々と制するかと思われた~最終ラップで燃料切れに見舞われてしまう」

 とあります。本書が参考にした「Suzuki Motorcyces - The Classic Two- Stroke Era By Brian Long, Veloce 2018」110頁では

「~ran out of fuel on the last lap」

とあり、本書(日本語)はこれを訳したものです。

 しかし、このレースはCB750レーサーに乗るディック・マンが優勝、デイトナ200における初の日本車による優勝ですので、こんな展開ではなかった記憶があり、レース記録を確認した次第です。

 TR500がデイトナ200で首位を走りながら終盤にリタイアしたのは1972年です。原書の著者はこのレースの記憶と勘違いしたのでしょうか?

 当時のCycle Worldの記事 Daytona 72 | Cycle World | JUNE 1972

「With one lap left, and a 15sec. lead over 2nd place Don Emde, fate took over. Coming out of turn two, Perry’s chain snapped and the bike slowed to a halt,」
 
 ペリーが最終ラップにリタイアしたと誤解されることがありますが、最終ラップにチェーンが切れたのなら、残り1周ではなく残り(例えば)半周になります。レース記録でもペリーの周回数は優勝したドン・エムデ(プライベート・ヤマハTR350(空冷2気筒市販レーサー))より2周少ない51周(14位)でした。






スズキ モーターサイクル史―2ストロークマシンの系譜 1952-1985

 今年の5月に発売された本です。最近にしては珍しい新作本ですので、出版されたこと自体は喜ばしいですね。

 ただ、日本の本らしく結構誤りがあります。ロードレース関係の記述については、後日、公開校正したいと思いますが、レース関係以外でも気になる記述があります。

 例えば、1971年に発売されたスズキGT750(2ストローク水冷並列3気筒)について

「~実績のあったCCIだった。GT750に採用するに際して、名称をSRIS(Suzuki Recycle Injection System:クランク室残留オイル還元燃焼方式」に改めたが~~1971(昭和46年)までにこのSRISの名称が全モデルに適用になっている。」(80頁)

 つまり「CCIからSRISへ名称を変更した」ということですが、CCIとSRISは別のメカニズムです。著者はCCIからCCISに名称変更したことと勘違いしたのでしょうか?

 GT750のサービスマニュアルの目次でも、CCISとSRISが並んでいます。



 また、81頁写真説明で

「クランクシャフト中央からパワーを取り出すことを示す図~「センターパワーテイクオフ」は、ポルシェの傑作レーシングマシン917も採用していた」

 とあり、80頁本文でも同様の記述があります。

 まず、3気筒ですからクランクシャフト中央は2番気筒のクランクピンですね。

 そして、ポルシェ917を例に出さずとも、1960年代の二輪レーサーエンジンで、クランクシャフトの気筒間位置から動力を取り出していることが多く、スズキ、ヤマハのロータリーディスクバルブ2気筒・4気筒、4ストロークではホンダ2気筒(一部機種)・4気筒・5気筒・6気筒などがこの方式でした。


 著者は当時の2輪レーサーエンジンの動力取出方法を知らないのかもしれません。あるいはポルシェの名前を出すことでスズキの評価を上げようとしたのでしょうか?

 なお、これらのエンジンではクランクシャフトとクラッチギア(変速機メインシャフト上)の間にジャックシャフト(動力取出シャフト)がありますし、ポルシェ917もジャックシャフトがあるのは同じです。

 しかし、GT750ではジャックシャフトはなく、クランクシャフト上のギアが直接クラッチギアに繋がっています。


GRAND PRIX ARCHIVES 05 最高峰クラスを闘った日本人たち(2)

 119頁の「Riders Plofile」、ところどころ変な記述があります。例えば片山敬済の「翌'76年は~250㏄ランキング2位に。さらに’77年は250㏄ランキング4位になる傍ら、WGP350にも参戦して~ワールドチャンピオンになった」ですが、1977年に初めて350㏄クラスに参戦したかのように受け取れますが、1976年にも350㏄クラスに参戦しランキング7位でした。

 また、高井幾次郎の「~’79年、'81にもWGP500にスポット参戦した。最高位は’79年オランダGPでの14位だった」ですが、1978年スペインにも出場しましたし、最高位は1979年スウエーデンGP、1981年イギリスGPの8位です。


 ところで、水谷勝が1986年オランダGP、ベルギーGPに出場したのに、この本で取りあげられていないのは? フル参戦、フル参戦に近い参戦でないというなら、なぜ藤原儀彦は取りあげられたのでしょうか?




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