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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

オールドタイマー誌

オールドタイマー誌に現存する昌和クルーザーSL 125㏄が掲載されていました。現オーナーの富成さんが入手された経緯を知り、その熱意にも敬意を表する次第です。

記事で気が付いたことがあります。現存マシンのフェンダーの「L6」ですが、35頁の写真のゼッケン101のマシンにも書かれています。隣のマシンにも「L8]と書かれています。レーシングマシンでは、ナンバープレートのあるマシンと異なり、個体を区別するためにフレーム番号が重要になります。フレーム番号自体は大した意味がなくても、現場で区別するために意味があるという意味です。
1960年代のヤマハファクトリーマシンは125:RA~、250:RDですが、
    エンジン番号  フレーム番号
RA  A~        R~
RD  D~        R~
でした(「~」は数字)。

このマシンは「SL」なので、ヤマハの例に倣うなら、「L6」はフレーム番号ではないか、それを分りやすくするために(車体を識別しやすくするために)フェンダーに書いたのではないか、という気がします。そうならエンジン番号は「S~」になりますね。

なお、SL に関係ありませんが、33頁、コレダRBはピストンリードバルブではなくピストンバルブ、カウル付ではなくカウルなしです(カウル付は練習車RAです)。
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RACERS Vol.41

買いました。
VTR1000SPW特集です。
http://www.geocities.jp/noda_keni/h/vtr1000/vtr1000spw.htm
です。

このあたりのマシンについてはよく知りません。そんなわけで楽しく読ませてもらいました。
車体の開発に関してはもちろん、90-630度間隔点火使用が基本的に用いられたことも初めて知りました。

細かいところでは
74頁の写真4写真説明「ラジエーターは~細かく分割されている」
→2分割でしたら普通ですから「細かく」とは言わないですよね。車体右下(写真向かって左下)のオイルクーラーを水ラジエーターと勘違いしたようです。

74頁写真5説明「タコメーターの6000回転付近にシフトポイントと思われる赤テープが貼られている」→68頁では「1万でシフトアップ~」とあります。耐久性云々としても6000は低すぎます。考えられる可能性としては、「レースではなく何らかのイベントで走った時の仕様」でしょうか。

バイカーズステーション(2)


前回の記事の続きです。

65頁の写真説明「1972年、ヤマハ契約ライダーとなったヤーノ・サーリネンは、市販レーサーTD-2ベースの水冷マシン(TD-3の先行開発車)を駆り、250㏄クラスチャンピオンを獲得。開発ライダー金谷秀夫も市販型TD-3(9月発売)で優勝」

何を勘違いしたのか分りませんが、正しくは「ヤーノ・サーリネンは、市販レーサーTD-3とTD-3ベースの水冷マシンYZ635(TZ250の先行開発車)を駆り、250㏄チャンピオンとなった。開発ライダーの金谷秀夫も第1戦にTD-3で優勝」

ライター氏は自ら作成した68頁の表が頭に入っておらず、ライター氏の頭の中では

     事実        ライター氏
1972  TD-3         TD-2
1973  TD-3、TZ250     TD-3(水冷)
1974  TZ250        TZ250

なのでしょう。TD-3の発売を1971年ではなく1972年9月と勘違いしたのでしょうか。まあ、ヤマハの公式サイトも、(おそらく外部ライター氏が)1972年の水冷マシンを「水冷化したTD-2でベルギーGPを走るJ・サーリネン」とするくらいですから、雑誌屋らしい誤りといえるかもしれません。

他にもいろいろありますが、一つだけ書きます。この雑誌の記事からするとTZ250の最終型が2003年型と思われる方が多いと思います。

実際には2003年型が継続生産され、2009年まで販売されました。

2007年型で標準装着ホイールがマルケジーニ鍛造になったこと以外は変更はなかったと思います。

バイカーズステーション誌(追記あり)

http://bikers-station.com/

今月号はヤマハ2502ストローク特集です。

 

1 62-63頁、ヤマハ250V4気筒レーサーについて、今になっても

RD05 90V

 RD05A 70V

 

と書いている時点で、アレです。RD05Aの真横からの写真を見て60度と気が付かないのですね。雑誌屋はこうでなくちゃ。

こちらを参照。http://jfrmc.ganriki.net/rd05/rd05honbun.htm

 

 


2 タイトルに「1967」とあり、このマシンが1967年型みたいに書いていますが、このマシンは1968年型です。1967年型とは車体が異なります。
 こちらを参照。http://jfrmc.ganriki.net/rd05/rd05honbun2.htm
 また、63頁で「1967年に製造され、1968年に~」とありますが、どういう意味なのでしょうか?
   A 1967年に試作1号車が完成し、実戦用のマシンが1968年に製作された
   B 1967年世界GPシーズン終了後、1967年末までに実戦用マシンが製作された
 
  雑誌屋は試作車も実戦車も区別しませんから、よくわかりません。

3 63頁で、RDD05がすべて空冷型みたいに書いていますが、RD05は当初の目論見に反して、水冷型のみが実戦で走りました。空冷型は1965年イタリア、日本のプラクティスのみに姿を見せただけ。

4 「機械式タコメーター」とありますが、単純にケーブルで駆動するタコメーターではありません。また「ワイアの取り出しは、上に書いたプライマリーシャフトの中央部から」とありますが、写真8ではギアボックス部上側の水ポンプ近くに見えます。
 
5 「レッドゾーン17000~18000から上」とありますが、そんなに回す訳はない。
  タコメーターの写真で14000あたりも赤くなっている。このタコメーターは125㏄用と250㏄用の兼用と思われます。


TZの記事についてもいろいろとありますが・・・・どうしようか。

RACERS Volume 39

まだ、詳しく読んでいない・・・

この当時のことはあまりよく覚えていないので、大した記述誤りには気が付きません。
しかし、一つづつ記述を検証していけば、多くの誤りに気が付くかもしれません。次のような誤りがあるくらいですから。

12頁 カダローラ、ブラドル、カルダスの3人で13勝したように書かれていますが、カルダスは優勝していない。

12頁写真説明 NSR勢は結局、全15戦で10回の表彰台独占→9回?

13頁写真説明 「半世紀ぶりに」  26年は半世紀のようです。

54頁 「レアル」がコンストラクターのように書かれていますが・・・レアルはスーパーマーケット、つまりスポンサー名で、ヘルヴェのマシンのフレームはニコ・バカーだった記憶。
 

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