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レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

Replica vol.1 RZV500RーRG500ΓーNS400RーARCHIVES

内外出版のムックです。
ちょっと気になる写真が掲載されていたので購入しました。市販車の記事について私が何かを言えるレベルではありません。

レース関係の記事で気になったのは

86頁「(1980年日本GP)当日の決勝レースでは、壮絶な4位争いを繰り広げていたグループのうちの1台が転倒し、みんなが巻き添えをくった。~最終的には3位表彰台に立ってみせたのである」

「4位」ではなく「2位」。4位争いで転倒し追い上げて2位→おかしいと思わないのだろうか。
実際のレース展開はこちら。 http://jfrmc.ganriki.net/ow48/ow48-2.htm

87頁「(1982年)全戦全勝(7連勝)」

 「出場した全戦で全勝(7連勝)という記憶。

88頁「(1984年)前年使った’83年型RGΓ500貸与と」
 1984年に水谷が乗ったマシンはRGB500(市販)のはず。

98頁「(1984年型NSR500)シーズン7戦に出走して4勝をマーク」

 「6戦に出走して4勝」の誤り。

南アフリカ:スペンサーがプラクティスを走るが、レースは欠場
イタリア:スペンサー優勝
スペイン:スペンサー欠場
オーストリア:スペンサー2位
西ドイツ:スペンサーNSで出場
フランス:スペンサー優勝
ユーゴスラビア:スペンサー優勝
オランダー:スペンサーリタイア
ベルギー:NSR出場せず
イギリス:マモラ優勝、スペンサーはこれ以降欠場
スェーデン:NSR出場せず
サンマリノ:NSR出場せず
(特記ない限りマシンはNSR500)

52頁「ちなみにTTフォーミュラ1の競技規則が改正されて、'84年から2スト500㏄も参戦できるようになったため(4ストは750㏄まで)」

 1977年にTT-F1がマン島で行われた頃から2ストロークは500㏄まで。1980、1981年の鈴鹿8耐で2ストローク400㏄単気筒マシンが走っている。1984年に改正されたのは4ストロークの排気量(1000→750㏄)。
 
他にも気になる記述がありますが、あまり調べる気にはなりません。
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ゲッカンタカハシゴー

今月創刊の雑誌です。
内容について私がどうこういうジャンルではありませんが、ケニー・ロバーツのインタビュー記事について・・・

29頁にロバーツの父が彼にホンダ50㏄を買い与えたということが書かれています。ロバーツのマシンといえば

自作マシン→トーハツ→ホダカ

だと思っていましたが、「ホンダ」説は初めて知りました。まさか、ライター氏がホダカをホンダと勘違いしたなんていうことは・・・

F750(2)

http://jfrmc.tou3.com/%E9%9B%91%E8%AA%8C/f-750

で、今月号(2014-10)のバイカーズステーション誌106-107頁のF750についてのおかしな記述について書きましたが、F750レギュレーションに関する記述のネタ元らしき記述を発見しました。FIMのサイトにありました。
http://www.fim-live.com/en/sport/vintage/vintage-news-detail/article/1338967851-the-formula-750/
です。

まず、この中の

The following characteristics could not be changed: engine type, number of cylinders, piston stroke, cylinder (four-stroke); cylinder, cast alloy and number of lights (two-stroke); alloy and shape of crankcases, cylinder head and gearbox, intake and exhaust system, primary transmission and number of gears.

です。バイカーズステーション誌での4ストロークと2ストロークのレギュレーションに大きな違いがあるという記述は、誤訳によるものと思われます。そもそも4ストロークと2ストロークで記述どおりの差があったらおかしいと気が付くべきです。

そして、
At the 1974 FIM Spring Meetings, the Technical Commission decided to authorise the participation of the Yamaha TZ 750 OW 31. Although this machine was in fact a racing bike, over 200 units had been built, but the question was whether this motorcycle was in keeping with the real spirit of the competition. The rule stated that motorcycles had to be produced in a minimum number of units, but there was no mention of homologation for street use.

を基本的にそのまま訳したために、1974年にTZ750がF750に出場できたとの記述になっています。
実はFIMのこの頁の記述は誤っているのです。
このあたり、おいおい整理して書きたいと思います。

F750

今月号のバイカーズステーション誌106-107頁にF-750の記事があります。

1974年に登場したヤマハTZ750が1974年のF750に出場できたように書かれていますが、誤りです。F750の規格の記述が曖昧だったのですが、結局、出場できないと裁定されました。このため、デイトナ、イモラ等はF-750対象外として行われたのです。

F750のレギュレーションが2ストロークと4ストロークで異なるとの記述です。記述どおりであれば、4ストロークは市販車と同じ形式であれば一品造りのエンジンでもOKになりますね。

1975年のチャンピオンのフィンドレーのマシンがスズキになっていますが、ヤマハの誤りです。フィンドレー=スズキの思い込みがライター氏にあるようですね。

1978年の選手権が「有効得点」で決まったかのような記述ですが、「総得点」です。

写真説明中のファウのマシンがヤマハになっています。1978年、ファウはカワサキに乗っていたはずですが・・・


バイカーズステーション誌の記事

今月号の105頁にマイク・ヘイルウッドの記事があります。

「最近になってイギリスのバイク雑誌でのアンケートでヘイルウッドが選ばれた」・・・「ヘイルウッドの死後34年・・・」という記事。

 
 ヘイルウッドが交通事故で亡くなったのが1981年ですから、今年は「死後33年」です。

 また、写真説明で、1967年、ヘイルウッドが総合得点でアゴスチーニに敗れたと・・・

 総合得点ではなく、2位の回数です。例えば1966年の50㏄クラスは、ホンダとスズキが有効得点で同点、1位回数も同じで、2位の回数(ホンダ2回、スズキ1回)でホンダがメーカータイトルを手にしました。総合得点ではスズキ38、ホンダ36でホンダが上位でした。

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