'89 WGP 500 特集です。42頁に「本誌ではVol.3において、'88年の第6戦西ドイツGPまで使用された下側チャンバー2本が左右降り出しのモデルがXR73で、第7戦オーストリアGPから登場した右2本出しのモデルがXR74と紹介していたが、今回の取材で真実はそうではなかったことが明らかになった。実はXR73は実車になることなく開発中止となったマシンだったのである」
Volume3での誤りはなぜ生じたのでしょうか?Volume3でもスズキ関係者に取材したはずなのに。スズキから提供されたこのような表
から勝手に1988年型第6戦以前がXR73、第7戦以降がXR74と勘違いし関係者に確認しなかったとしか思えません。
この記事を信用し、
http://www.geocities.jp/noda_keni/s/xr72/XR72.htm (修正済み)
の記事を書いたことを反省します。
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公開公正しました。
http://jfrmc.ganriki.net/zakkan/kousei/kousei20.htm
でも、校正できないものがあります。「高速コースの3連戦」といった間違った認識を基にした記述です。
でも、1990年のYZR250は好きなマシンなので、このマシンのストリップ写真が掲載されただけでも嬉しいですし、特に本間選手の記事は興味深かったです。これが1000円なのですから、お買い得なことは間違いありませんが・・・
ところで、1986年の0W82についての記述もあるのですが、YPVSなしのバージョンがあったことの記述がありません。またいつかJFRMCで取り上げたいと思います。
前回、オーストラリアGPでのコシンスキーの「最終戦オーストラリアGPでの「完璧な」勝利」が記憶に残っていると書きました。しかし、RACERSではそれが全く異なるように記述されています(36-37頁)。
レースで、コシンスキーは明らかに余力を残しながらレースを展開します。決して
「サイドbyサイドの激しい戦いを繰り広げる」
「露骨に苛つくカルダスの前でコシンスキーはタイトル獲得に向かって全開の戦いを続ける」
ようなレース展開ではありませんでした。
このレース、タイトルを手にするためには、コシンスキーは優勝するだけではなく、カルドゥスを3位以下にする必要があります。独走してしまえば、ブラドルが戦意を損失してしまい、例えチームオーダーがないとはいえ(コシンスキーにその確証があるはずもない)、ブラドルの上位にカルドゥスが来てしまう可能性があります。ですから、コシンスキーはブラドルの背後につき、ブラドルの闘争心を刺激する作戦を採ったのです。
そして、残り2周に入りスリップストリームから抜け出したコシンスキーがトップに立つと、あっという間にブラドルとの差を広げ、最速ラップを記録、最終ラップにさらに最速ラップを更新し(ただ一人の1分36秒台=1分36秒681)、
たった2周でブラドルとの間に1秒987もの差を稼ぎ出しトップでゴールしました。
一方で、プラクティス2位だったカダローラ(YZR)も、カルドゥスを抑えるため、余力を残しながら3位争いを展開、終盤にカルドゥスを引き離しだします。
まさに、コシンスキー、カダローラ、2人の作戦どおりの展開となったのです。カルドゥスのシフトペダルが破損したことが、この「作戦」にとって予想外で不要な結果でした。
なお、カルドゥスのシフトペダルが破損したのは、残り2周に入ってからで、ピットインしたのはRACERSの記述「残り2周」ではなく、「残り1周」だった記憶です。リザルトではカルドゥスが26周のレースで24周したことになっていますが、25周でピットインしても(ピットがフィニッシュラインの手前にあるので)24周しかリザルトに残りません。
コシンスキーに対する「残り1周ピットサイン」に書かれた「CARDUS OUT」(37頁)の「OUT」は、「カルドゥスがピットインした」という意味ではなく、「カルドゥスが大きくスローダウン」という意味です。
(23日夜加筆)
第3戦スペインGPの記事(21頁)では「最終ラップ、
最終コーナーひとつ手前。その前のコーナーでトップを奪いそのまま逃げ切りにかかったカダローラの
インを、コシンスキーが鮮やかに差し返して劇的な勝利を収めたのである~「最終ラップの
最終コーナーで抜いてくるなんて信じられない」と、カダローラも脱帽」
いったい、ライター氏は、コシンスキーがカダローラを抜いたのは「最終コーナーひとつ手前」と「最終コーナー」のどちらと言いたのでしょうか。
「最終コーナーのアウト」が正解です。あのレースの映像を当時見た人なら強烈に印象に残っているでしょう。ライター氏はスペインGPもオーストラリアGPも見ていなかったのかな。見ていなかったら間違ってもいいというわけではありませんが。
スペインGP
http://www.youtube.com/watch?v=-Q58dDeweps
7分40秒あたりからご覧ください。
今日、発売でした。
1990年のヤマハYZR250 0WB9を中心としたヤマハ250特集です。1990年、ジョン・コシンスキーが世界タイトルを獲得しましたが、このシーズンのコシンスキーで記憶に残っているのは
・第1戦日本GPのプラクティスで圧倒的なタイムを記録したのに、スタート直後に追突させ排気管を曲げてしまい、ピットイン、そこから14位入賞したこと。土曜日午後、雨中のプラクティスを淡々と走った姿。
・最終戦オーストラリアGPでの「完璧な」勝利。
です。
今回の記事の中では、本文書き出し(8頁)で
「ヤマハは
1963年に開始した世界GP250㏄へのファクトリー参加」
と書き出しから間違えていますね。
また、1990年、PuigにYZRが与えられていたことが忘れられているように思います。
http://www.formulamoto.es/zona-competicion/2006/12/01/alberto-puig-1967/2442.html
また、公開公正したいと思います。
、