昨日、紹介した標題の記事のうち、平松氏の記事は中尾省吾氏の手によるものです。
で、中尾氏自身のブログでこのことについて触れています。
http://nakaoshogo.exblog.jp/12773884/
いくつかの事実誤認も中尾氏が原因かもしれませんね。また、「私はメカニカルな話がサッパリ分かりませんからね、技術的な事になると目を開けたまんま寝てましたからね」とまで書かれると、怒る気にもなりません。むしろいい加減な記事なので信用するな、と言っているようで、もっともらしい間違いを書かれている記事よりましかもしれません。
ただ、永年、レーシングマシンの開発に携われた方への対応としてこれでいいのかといえば別です。
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ロードライダー誌2010-4号を買いました。カワサキロードレーサー特集です。よくまとまっており、店頭で迷わず購入しました。
特にスズキ→カワサキ→ホンダの技術者だった平松氏の回想が興味深かったです。カワサキで印象深いのはやはりKR250/350で、JFRMCでも何とかしたいのですが・・・
写真の間違いですが、すぐに気が付いたのは、表紙の写真は1982 Austria→1981 Austria、24頁中段 1979 Belgium→1979 Spainぐらいでした。
さて、カワサキのユニトラック後サスペンションについて、平松氏は
「富士のF1でブラバムのフロントリンケージを見たんですね。BT44だったかなあ」
「何でF1レースに行ったかというと~小島松久さんが~KE007とゆうF1マシンで富士に参加してたんでボクとアベを手伝いに来いと呼んでくれたんですよ」
「ボクはブラバムのフロンとサスを見てピーンと来ましてね。すぐに試作に入りました。」
しかしユニトラックのKR250は1976年10月9-10日(250ccレースは9日)で登場します。一方、1976年の富士のF-1GPは1976年10月24日に行われています。ですから平松氏の記憶では辻褄が合いません。
さて、1974年11月上旬にブラバム、マクラーレン、ティレル、ヘスケスのF1が現役ドライバーの手によりデモ走行しています。
小島F-1は(記憶では)1976年夏以降、何回か富士でテスト走行しています。
(なお、平松氏は1974年9月にカワサキに移籍しています。)
平松氏の記憶はこれらがごちゃまぜになっている可能性があります。本当は取材時に確認すべきだと思いますが。
66頁のQ50のボトムリンクサスのマシンの登場時期について、イギリスGPでボトムリンクサスのマシンが使用されていない根拠の一部を示すことにしました。
http://www.youtube.com/watch?v=BuMNoGe1K1Q&feature=player_embedded#
ここに写っているのはいずれもベルクランクサス車です。走行中の映像はレース中のものです(マルボロのロゴが消されています)。
http://www.f1network.net/main/s180/st91951.htm
これはプラクティス中のベルクランクサス車。
http://www.youtube.com/watch?v=_ZKv-6H5lXg&feature=related
の1分30秒くらいに、レース中の事故で赤旗中断し、ピットインするロバーツのベルクランクサス車が写っています(26日夕方に修正しました)。
一方、こちらはイギリスGPプラクティスでのボトムリンクサス車です。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70-gb3.jpg
こちらはサンマリノGPプラクティスでのボトムリンクサス車。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70-sm1.jpg
2車のスイングアーム形状の差が分かります。イギリスGPでロバーツが用いたのはベルクランクサス車です。現存するマシン 0W70 B 302 はこのマシンそのものと考えています。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70genson4.jpg
1984年ラグナセカで平が乗ったマシンについて16頁では、ヤマハ本社から平が乗っていたマシンをラグナセカに運んだと連絡があったことが書かれています。一方、74頁のQ94では「平氏が乗った0W76~と考えていいだろう」と明言を避けています。同じ雑誌の中くらい統一して欲しいですね。16頁のヤマハ本社のファクスの内容はライターの創造なのでしょうか。
さて、私は平のマシンに間違いないと考えています。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow76/ow76.htm
また、17頁に「Tカーのない1台体制」とありますが、フェラーリ用の2台のマシンにうちの1台が平に与えられています。下はベルギーGPでの平のF2(フェラーリ用2号車)。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow76/b5.jpg
65頁のQ47で、フレーム燃料タンクについて「写真はありませんが~図面の履歴からフレームに取り付けられた給油口が抹消されたことが分かります」とあります。給油口が付いたフレームは実戦で普通に用いられました(給油口自体は使用されず)。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70-sa-s2.jpg
第1戦南アフリカGPでのK1(ロバーツ用1号車)
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70-e1.jpg
第5戦スペインGPでのE1(ローソン用1号車)
標題の雑誌が発売されました。ケニー・ロバーツの乗ったマシンの特集で、Vol1と同様、買う価値はあります。
ただ、前作と異なり気になる点があります。それは54頁からコーナーで、「エンジニアお三方の取材を中心に、ライター吉村誠也さんと編集部独自の調査や、過去の『ライディングスポーツ』の記事を元にお伝えします」とあるように、技術者の証言とライター等の記事が並べられおり、どこまでが技術者の証言なのかわからなくなってしまっています。技術者の証言と検証が不十分な記事を同列に扱うべきではありませn。
例えば、Q50で「0W70のリヤショックがボトムリンク式に変わったのは第10戦イギリスGP」とありますが、これは間違いです。ボトムリンク型は第3戦イタリアGPで姿を見せプラクティスを走りましたが、レースで用いられたのは第9戦ベルギーGPのみです。同じ間違いでも吉村さんの間違いと、技術者の間違いとでは全く意味が異なります。
http://racers.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/1224racersvol-3.html
ヤマハにあまり資料がないようですから、吉村氏(又はライスポの記事)の間違いだと思いますが・・・
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70honbun3.htm
にロバーツが用いたマシンを整理しています。吉村さん(又はライスポの記事)が間違えているなら、これで十分かと思います。技術者が間違えているなら、私の記事の根拠を示す必要があるでしょう。
(12月29日、件の記事がライスポの記事かもしれないので加筆しました)