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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

メーカーの責任

 JFRMCに「メーカーの責任」を追加しました。
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/zakkan/honda50year.htm


 残念ながらメーカーのウェブサイトにも間違いがあります。
 
 写真説明のレース名が間違っていれば、その写真に写っているマシンの登場した時期等の判断の間違いに繋がります。また、戦績、過去の記録との対比が間違っていれば、ある記録に対する評価も異なったものにななります。メカニズムについての間違いがあると技術的な評価も異なったものになります。

 そして何より、間違いだらけの文は信用性がなく、説得力がありません。どんなに素晴らしい歴史であっても、単なるホンダの宣伝文句に成り下がってしまうのです。

 ホンダの元記事はホンダ自身の手によるものではなく、外部ライターの手によるものだと思いますが、ホンダのサイトに公開されているのですから、メーカー自身が自社の歴史に誇りを持ち、きちんとチェックし、ホンダの誇るべき歴史として発信していただきたいと思います。
 
 
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0W70その1

http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow70/ow70honbun1.htm
中、第2戦フランスGPの後のイモラ200について追記しました。また、それを受けて第3戦イタリアGPについても記述を若干修正しています。

 ロバーツが0W70で出場したのは世界GP以外ではこのイモラ200とTBCビッグロードレースだけだと思います。デイトナ200、トランスアトランティックトロフィー、ラグナセカには0W69で出場しています。

書庫

http://vitz1f.ninja-x.jp/book/bs.htm
を更新しました。書庫スペースを確保してから時間がかかりましたが、やっと整理できました。これで置き場所を気にせず本を購入することができます。

 書庫を整理した後の問題はどの資料にどの記事、写真があるかを整理することですが、今のところ、仕事以外の人間データベースはあまり劣化していません。時々資料をチェックして人間データベースが劣化しないようにします。これをボケ防止といいます。

 さて、今年1年、JFRMCをご訪問いただいた皆様ありがとうございました。よいお年をお迎えください。

RACERS Vol2(5)

 これで取り合えず終わりにします。

 52-55頁ですが、例えば
 52頁と55頁の各車の車重を比べるとかなり食い違っています。
 52頁の0W20のシリンダーピッチ値が間違っています。
 53頁の各年のワークス出場台数の間違いが多いです。
 53頁の75年の0W23がピストンバルブになっています。

 というように間違いが多いですね。

 7頁に「長らくケニーのために0Wの開発を務めた河崎裕之氏が言った」とありますが、河崎氏は1977~1982年にスズキに乗っていたのですが、1983年1年が「長らく」なのでしょうか。
 
 それ以外にも間違い、おかしな表現が少なくなくきりがないので、とりあえずこれくらいにしておきます。

  Vol2で初めて知ったことも少なくなく、また、こういうものを出していただいたことに感謝しています。しかし、、Vol1の出来が感動的だっただけに少し残念です。もう少し時間をかけてデータ、文章をチェックしてほしいところです。
 

RACERS Vol2(4)

続きです。
98頁のロバーツの写真について「この頃まだagvの安全性を信用してなくて、プラクティスや予選ではBELLを被ってたんですね」とあります。

 この写真と28頁上の写真と比べてみれば、これが第1戦イタリアGPで撮影されたものであることがわかります。
 さて、ロバーツのつなぎは1979年のものです。また、
 http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow48/ow48-1.htm
の第1戦のところで分るように、第1戦のプラクティスで既に、1980仕様つなぎ、agvヘルメットを着用しています。一方、GPシーズン前のイモラ200ではベルヘルメット+1979仕様つなぎです。

 本来の第1戦ベネズエラGPが資金的な問題、次のオーストリアGPが季節外れの大雪で中止されたのですが、イタリアGPからヘルメット、つなぎが変わるはずだったが、写真の時点では間に合わなかったのではないか、件の写真は土日の公式予選(official practice)で撮影されたものではなく、木曜日ぐらいに撮影されたものではないか、と想像しています。
 少なくとも第2戦以降の公式予選等で確認できるのはagvヘルメットのみでベルヘルメットは確認できません。

 次に25頁に1981年の体制について「このシーズンからようやくヤマハ本社契約となり、~インタカラーではなくヤマハワークスカラーとなったマシン~」とあり、75頁のQ92でも「単純にヤマハ本社契約となったから」とあります。
 私の記憶では1980年のチーム体制について、当時のMoto Rider誌(シーズン前の号)では「ヤマハ本社契約となったが、インターカラーのままになった」というような記事があったかと思います。

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