レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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内燃機関超基礎講座 | 比熱比 エンジンの理論熱効率を決定するキーワード。マツダのSKYACTIV-Xでも重要なファクター|Motor-FanTECH[モーターファンテック] (motor-fan.jp)
「比熱比が小さい(比熱が大きい)と熱効率が低下する」
「比熱比は物質の分子量に反比例して小さくなる」
ライター氏がよく理解しないまま書いているのか、素人に分かり易く説明しようとして、おかしな記述になっているのか・・・
比熱比は
Ar>H2O 分子量(原子量)が大きい方が比熱比が大きい
CH4<O2 分子量が小さいほうが比熱比が小さい
ものもあるのですが。
今の高校でどの程度まで学ぶか知らないのですが、理系の大学を卒業された方であれば、比熱比の基本的なことを学ばれたのではないかと思います。
2ストロークマガジンによると、RGV-Γ250SP(VJ23)ベースの市販レーサー計画があったそうです。
https://www.facebook.com/2strokemagazine/photos/a.134713576605170/3397316723678156/
私の手持ち資料には
XRA0 250市販レーサー XR95ベースの市販レーサー開発
という記述があります。VJ23自体がXR95の設計をベースにしていますから、上のリンク先の記事中のマシンの機種記号(計画記号)はXRA0ではないかと思います。
ライダーの名前をクリックすると、公式サイトの該当頁に行きます。
ケニー・ロバーツ
500㏄デビューが1978年スペインになっています。その1戦前の開幕戦ベネズエラに0W35に乗り出場しエンジン故障でリタイアしています。
エディー・ローソン
1981年、カワサキKR250に乗って数レース走っていたことが忘れられています。
片山敬済
250㏄デビューが1974年ベルギーになっていますが、1戦前のオランダが正解です。下の方の1974年のレーススタート数の4も誤りです。オランダ、ベルギー、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア、スペインを走った記憶。ポイントを獲得したのは4戦ですが。その他のレーススタート数も1979年(NR500登場等)の数字がないなど間違いだらけ。
高井幾次郎
1978年500㏄スペインGPを走ったことが忘れられています。レーススタート数もデタラメです。
田中健二郎
田中健二郎と田中禎助の戦績のミックスになっています。
伊藤光夫
デビューが50㏄:1962年フランス、125㏄:1962年アルゼンチンになっていますが、50㏄:1962年スペイン、125㏄:1962年マン島の誤りです。レーススタート数もデタラメ。
他の日本人ライダーについても調べてみましたが、デビューレース名、レーススタート数、いずれも誤りが多く見られました。得点獲得レースのみカウントしているのでしょうか。
1967年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1967
スペイン、日本のリザルトがありません。
で、ランキング表に、最終戦日本GPで優勝した伊藤光夫が8点挙げているのに、ランキング外です。ランキング3位のGRAHAMの22点は日本GPの6点を含んでいますが。
Grand Prix Motorcycle Championships of the World (by Maurice Bula, Foulis 1975, フランス語の原書の英訳版)によると、FIM自体が昔から間違えているようです。
1965年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1965
ランキング7位のアンシャイトのマシンがスズキになっています。確かに最終戦日本GP(リザルトが見られない)でスズキに乗り4位になりましたが、序盤はクライトラーに乗り第2戦ドイツで6位、第3戦スペイン(リザルトが見られない)で5位入賞しています(第4戦からクライトラーはレース活動休止)。で、ドイツGPのリザルトでもアンシャイトのマシンがスズキになっています。
1961年125㏄クラス
motogp.com · 125cc World Standing 1961
ランキング9位の田中禎助がKenjiro TANAKA(田中健二郎)になっています。
ランキング15位の谷口尚己がMasumitsu Taguchi(田口益充のことかな)になっています。
この調子ですから、島崎貞夫を高橋国光に間違えるのも納得です。
1961年125㏄ドイツGP6位は誰?