忍者ブログ

JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

MOTO GP公式サイトのリザルト

1967年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1967

 スペイン、日本のリザルトがありません。
 で、ランキング表に、最終戦日本GPで優勝した伊藤光夫が8点挙げているのに、ランキング外です。ランキング3位のGRAHAMの22点は日本GPの6点を含んでいますが。
 
 Grand Prix Motorcycle Championships of the World (by Maurice Bula, Foulis 1975, フランス語の原書の英訳版)によると、FIM自体が昔から間違えているようです。

 
1965年50㏄クラス
motogp.com · 50cc World Standing 1965
 ランキング7位のアンシャイトのマシンがスズキになっています。確かに最終戦日本GP(リザルトが見られない)でスズキに乗り4位になりましたが、序盤はクライトラーに乗り第2戦ドイツで6位、第3戦スペイン(リザルトが見られない)で5位入賞しています(第4戦からクライトラーはレース活動休止)。で、ドイツGPのリザルトでもアンシャイトのマシンがスズキになっています。

1961年125㏄クラス
motogp.com · 125cc World Standing 1961
 ランキング9位の田中禎助がKenjiro TANAKA(田中健二郎)になっています。

 ランキング15位の谷口尚己がMasumitsu Taguchi(田口益充のことかな)になっています。

 この調子ですから、島崎貞夫を高橋国光に間違えるのも納得です。
1961年125㏄ドイツGP6位は誰?
PR

ヤマハ歴史車両走行会

の総集編の映像が公開されています(リンク)。

 本橋明泰さんの最後のデモ走行とのこと。もう81歳になられたのですね。本橋さんについてはこちら。
本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)
 
 本橋さんがレースを走る姿を見たことはありません。当時、雑誌の記事で見ただけです。

 初めて見た走行シーンは、1997年の鈴鹿ヒストリックミーティングでTZ750に乗った姿ですが、エンジンの調子がイマイチだった記憶です。この時、本橋さんは57歳、もちろん、今では私も57歳を過ぎています。

 その後、イベントでTR-3、RA97、RD56、RD05Aに乗られたのを見たことがあります。そして、少しばかりお話を聞くことができ、サインも頂戴しましたが、いつも気さくな紳士でした。

 2016年の走行会では、来場者が多くて走行まで本橋さんがどこにいるのかわからないような状態。その時の走行が私が見た最後の本橋さんの雄姿になりました。
 これまでありがとうございました。


・・・・・・
本橋明泰 - レース情報 | ヤマハ発動機 (yamaha-motor.com)の記事ですが・・・

第1回全日本選手権ロードレース(鈴鹿サーキット)でノービス250cc予選1位を獲得」 3位の誤りです。
1962年 第1回全日本選手権(ノービス) (iom1960.com)

'66年日本125cc3位」 ’66年日本250㏄3位の誤りです。

Suzuki Motorcycle Racing History Episode

素晴らしい。これ以上の言葉は不要。

浅間~1960年代GP


モトクロス


ロードレース1970年代~1983







ヤマハコミュニケーションプラザ

でTZ250の整備が始まっています。
https://www.facebook.com/YamahaCommunicationPlaza/posts/3437062389740739

 モノクロスサスペンション、フレーム形状、フェアング形状・・・からTZ250C/D/E(76/77/78年型)と分ります。TZ250Ⅱと呼ばれることもあります。

 以前に見たときにメモしたエンジン番号からするとC型(76年)ということになりますが、フレーム番号は確認できませんでした。サイレンサー付が標準になったのはD型からですので、排気管はD/E仕様です。シリンダーの部品番号はメモしませんでしたが、CとDでは部品番号が異なるはずです。Eではどうなのか知りません。

 TZ250は1979年に大きくモデルチェンジします。国内250㏄クラスは(当時)ノービス、ジュニアクラス専用で、1979年にノービス250㏄チャンピオンになった斉藤光雄選手が乗ったTZ250も78年以前のものでした。斉藤選手は1980年にジュニアに昇格しましたが、引き続き旧型マシンで奮闘した記憶です。

ヤマハ125㏄ロータリーディスクバルブ単気筒(1983)(2)

18日前にコミュニケーションプラザのFACEBOOKで正体が明かされています。
https://www.facebook.com/YamahaCommunicationPlaza/posts/3234670146646632

 元技術者の山岡氏のコメントにあるように、エンジンは1983年の0W67ではなく1982年の0W62のエンジンがベースです。

 この機種記号についてですが、ヤマハの1982年のロータリーディスクバルブ125㏄モトクロッサーをOW62Bと表記している1982年のバイク雑誌もありました。
 
 当時は、「0W」ではなく「OW」と表記するのが普通でした。

 このマシンのフレーム打刻は当時のヤマハの他のマシンの打刻からすると「0W62-B-2××」だと思われます。Bは車体を指し、次の2が年式、××が続き番号です。おそらく雑誌記者が打刻を見て、このマシンを0W62Bだと考えたのではないでしょうか。


 ただ、この雑誌記事はパワーバルブの作動方式が変わった新型マシンについてのものです。同じ機種記号であっても、新型について(エンジン/フレーム打刻には反映しなくとも)便宜的に機種記号の数字の次にアルファベットを付記して呼称することがあるので、雑誌記者の質問に対しヤマハ関係者が雑誌記者に機種記号を「0W62B」と答えた可能性もあります。

※新型について機種記号の数字の次にアルファベットを付記した例
0W35K:パワーバルブ無装着に対するパワーバルブ装着型
0W48R:4気筒前方排気に対する2気筒前方排気・2気筒後方排気型

 ヤマハ1982年型125㏄モトクロッサーエンジン。写りが悪いですが、ロータリーディスクバルブが収まる部分が分るでしょうか。










カレンダー

03 2025/04 05
S M T W T F S
2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

リンク

カテゴリー

フリーエリア

最新CM

[03/26 野田]
[03/26 TFR_BIGMOSA]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 野田]
[03/12 平野克美]
[03/12 平野克美]
[02/21 野田]
[02/21 TFR_BIGMOSA]
[02/06 Kuboi]

最新記事

最新TB

プロフィール

HN:
野田健一
性別:
男性

バーコード

RSS

ブログ内検索

アーカイブ

最古記事

P R

カウンター

アクセス解析