レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1966年、67年、ホンダ・4ストローク500㏄4気筒・RC181/2RC181で世界GPを戦い、1966年はメーカータイトルを手にしたものの、重要な個人タイトルは手にできず、1967年には僅差でメーカー/個人タイトルを手にできませんでした。
ホンダ500㏄4気筒に乗り1966年に3勝、1967年に5勝したマイク・ヘイルウッドはこのマシンのハンドリングに不満で、1967年シーズン初め、そして1967年シーズン後に独自に車体製作を外注します(両車とも世界GPでは走らず)。
1967年GPシーズン終了後にヘイルウッドがケン・スプレイソンに製作させたのがこちらのマシン。解説では1967年シーズン前に製作されたことになっていますが、誤りです。
https://www.mcnews.com.au/honda-rc181-as-raced-by-mike-hailwood/
エンジン番号は RC181 303 です。
1968年に入ってすぐ、ホンダが世界GP撤退を発表、ヘイルウッドは世界GP以外のレースに出場する条件でホンダと契約し1967年型の250/350/500マシンが与えられたのですが、スプレイソン製作の車体に1967年型500㏄エンジンを搭載し、1968年、リミニ(イタリア)で行われたレースに出場し2位となりました。
そして、1週間後のイモラで、プラクティスでエンジンが故障、翌日の決勝までに1966年型に積替え、優勝。これがこのマシンの最後のレースになりました。
日本のレーシングモーターサイクル 栄光の歩み(八重洲出版1988)では、(当時)現存するこのマシンのエンジン番号を103としていました。
現存する2台の1967年型の2RC181Eのエンジン番号は
RC181E-301
RC181E-302
ですので、103は1966年型と考えられ、1968年イモラで1966年型エンジンに積み替えられたことと符合します。
しかし、現在は303エンジンになっていますので、イモラで下ろされた303が補修され、スプレイソンフレームに搭載されたものと思われます。ただ、排気管は1966年型です。
1967年シーズン初めに製作されたマシンについてはこちら。