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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS vol05

 標題の雑誌を購入しました。
 いつもながら発売を楽しみにしており、今回も発売当日に購入しました。今回も、vol03同様、スズキが保存しているマシンの撮影ができなかったため、というかそのおかげというべきか、SERT(フランス)に保存されているマシンの写真が掲載されています。スズキが保存しているマシンは見たことがありますので、うれしい誤算となりました。
 また、vol03と異なり、GSX-R全体の変遷が分りにくいのが難点かもしれませんが、当時の動きを知っている人にとってはあまり気にならないでしょう。

 実のところ、私は「油冷」をあまり評価していません。単純に冷却媒体としてみた場合、油より水の方が優れているからです。もちろん、油でしか冷やせない部分は油に頼るしかありませんが、その他の部分は水で冷やした方がよいのです。冷却媒体として油が水より優れているのなら、F-1エンジンは水の冷却経路に水の代わりに油を入れていたことでしょう。結局、油冷は空冷の改良に過ぎないのです。
 
 記事中に「熱の発生」という言葉が用いられますが、冷却損失は、出力、熱効率が変わらなければ大きくは変わりません。「熱の発生」ではなく、「冷却能力の不足による局部的な温度の増加」、「局部周辺空気温度の高温化及び輻射熱量の増大」だと考えています。
 46頁左下の「1秒間に20ℓものオイルをヘッドに供給するシステム」は「1分間に20ℓ」の誤りですが、水冷の冷却水流量に比べれば、悲しい程少ない量に過ぎません。

 もちろん、エンジンの性能はある要素だけで決まるものではありませんし、レーシングマシンとして見た場合、その性能はマシン総体で考えるべきです。だからこそGSX-Rがあれだけの成果を挙げることができたのでしょうが・・・

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RACERS Vol4

 タイトルの雑誌を購入しました。1987~1990頃のホンダNSR500特集です。
 
 前作と同様、貴重な資料となっており、特に1989年型NSR500のフレームについての記述は特筆すべきものです。私も1989年のNSR500については関心がありましたので、今回、ホンダから公開された資料を参考に調べ直したくなりました。

 全体の構成には?がありますし、細かい間違い(勘違い?)もありますが、そんなことは大した問題ではないと感じさせる内容です。

 

ヤマハ 500/750並列4気筒のクランク

RACERS Vol2(三栄書房)34頁に0W35(1977-78年型500)について、以下のような記述があります。

「並列2気筒・250ccのパワープラントを横に2基並べたようなレイアウト、左右2気筒ずつのサブアセンブリーを中央のカップリングギアで連結したクランクシャフト構造、そこからプライマリーシャフトを介して~といった、エンジン設計の基本構想は初代YZR500(0W20)以来変わらずに受け継がれている。」

 カップリングといえば軸と軸を繋ぐものを指すと思います。1981年のTZ250は右クランク左端のギアが左クランク右端のギア内側に噛み合うようになっていました。この構造であれば「中央カップリングギアで連結」になります。

 しかし、1980年型TZ500のパーツリスト図
http://noda-kenichi.hp.infoseek.co.jp/ow45/4a0-2.jpg
では左右クランクのギアは連結されておらず、それぞれのギアがジャックシャフト(プライマリーシャフト)上のギア(1つ)に繋がる構造です。

 上の記事のライターはヤマハ500/750のクランク構造をTZ250のクランク構造と同じと勘違いしたようです。

 さて、この動力取出し機構は、1992年以降のホンダNSR500でも同じです。
http://www.geocities.jp/noda_keni/h/00nsr500/00nsr500.htm
 
 そういえば「1軸クランク・2ストローク500cc4気筒はホンダだけが製作することができる」と書いていたジャーナリストがいましたね。

ライディングスポーツ誌の記事

 4月24日発売のライディングスポーツ誌34頁に以下のようなことが書かれています。
・1963年のスズキRM63は2気筒
・当時は浅間テストコースぐらいしか日本にはなかった。

 もちろん、RM63は単気筒です。また、スズカサーキットが1962年に完成していますし、スズキの米津浜テストコースは1960年から使用されています。まあ、まともに指摘するのが馬鹿らしくなる記事ですが、この程度の雑誌屋の間違いは当り前のことです。

 問題なのは、この記事がスズキの成果を結果的に貶していることです。

 この記事が言っているのは「当時、日本には浅間(ダートコース)しかなく、舗装路面でのテストはできなかったが、スズキは2気筒のRM63を開発し、伊藤光夫の手によりマン島TTで優勝した。」ということです。舗装路面でのテストもできなかったマシンが優勝したということで、いかにスズキが素晴らしかったかを訴えたいようですが、私でしたら、「そんなマシンで優勝できるレースってレベルが低いなあ」と思うのですが・・・

雑誌屋の間違い記事の原点

 先日、昔の某誌をチェックしていたところ、懐かしい記事が出てきました。

 某誌ではホンダCB125S(125cc単気筒)にレース用外装キットを組み込んだマシンを製作し1973年9月号に掲載しました。その燃料タンク上面に編集部員により英語の文字が書かれていました。そして、エンジンキットも組み込まれ(11月号)、レースに出場しました(12月号)。
 写真は燃料タンク上面に書かれた文字で、1965年にホンダがロードレース世界選手権で全クラスで勝ったことが書かれています。

 もちろん、1965年は1966年の間違いです。1966年から7年しか経っていないのに、1973年9月号で間違い、12月号でも間違いは訂正されませんでした。写真は12月号のものです。これらの記事に比べれば、最近の雑誌の間違いは可愛いものなのかもしれません。



1965.jpg

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