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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

雪が多い日は運転しない


名言です。
https://twitter.com/bestcarmagazine/status/1343757113990889472

 一時期、車通勤をしていたときがありましたが、シーズン最初の降雪時は、地元の車であっても、雪用タイヤにしていない車が少なくなく、大渋滞し、ぶつけられないだけマシという状態になります。冬場ですから、トイレも近くなりますし・・・

 本格的な降雪シーズンに入っても、大雪の時には同じ状態になることが少なくありません。そんなときは、いつもよりかなり早く自宅を出発し、不便な鉄道を利用することもありました。運転途中でトラブルに巻き込まれてからでは大変ですから。

 でも、仕事では車を使わざるを得ないものですから、日中の大雪時、スノータイヤにさらにチェーンを巻いてやっとの思いで目的地に着いたら、「こんな大雪の時に来なくてもいいのに」と言われたことがあります。相手も大雪で除雪やら機器の点検で大変だったのです。それからは電話してから出かけるようになりました。

 でも、そんなことを言ってられない仕事をされている方々には頭が下がります。


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ヤマハ0W35(1977-78年型YZR500)

 その1を公開しました。
ヤマハ0W35(1977-78年型YZR500) (ganriki.net)
 
 本ブログで書いた内容をまとめたものです。その2はブログの内容に現存するマシンの写真等を追加した上で年明けに公開します。

 1978年の0W35Kのシリンダー/シリンダーヘッドの組付け方に関心を持ったのは1979年のことです。ライダースクラブ79-5(1979年3月27日発売)に、1979年シーズン前に袋井テストコースで公開された0W45(1979年型YZR500)の写真が掲載されており、1977年の0W35と異なり、0W45のシリンダー/シリンダーヘッドが分離締めになっていることを知りました。


 内側シリンダーの脱着が面倒になるにも関わらず、このような組付け方を採った理由はそれがパワーバルブを収めるためだろうと考え、さらに、1978年型(当時は機種記号は知りませんでした)はどうなっているんだろうと思いましたが、1978年型のエンジン写真は手元にありませんでした。

 1979年6月になってMOTOCOURSE1978-79を入手し、ヤマハの広告頁に1978年型YZR500のストリップの写真(写真の質が悪い)があり、シリンダー/シリンダーヘッドの組付け方がその前後で異なるであろうことに気が付きました。
 そして、1978年シーズン中の写真を確認し、シリンダーヘッドのナット位置ががMOTOCOURSEの写真のマシンと異なることに気が付いたのです。
 
 そんなわけで、いつかは記事にしたいと思っていましたが、
0W54 YAMAHA (ganriki.net)
に続いてこんな形での公開になりました。0W35、そしてケニー・ロバーツの活躍について知りたい方には申し訳ありません。

URSのクランクシャフト(修正あり)

 こちら(リンク)で取り上げたURSエンジンについてコメント欄に次の質問がありました。

「私の能力では慣性偶力に関する有利・不利についてはイマイチ理解できていないのですが、エンジンの構造的にこのクランクピンの配置は片側のクランクシャフトをそのまま反転してもう片側に使える、という狙いもあるのではないでしょうか?」

 この写真では、確かに2本のクランクシャフトのベアリング/ギア/クランクウェブの位置関係が左右対称に配置されています。


 しかし、左右のクランクシャフトは共通ではなく、それぞれ専用品です(構成部品は共通化できます)。

 下図において、左のクランクシャフトと同じクランクシャフトを180度反転させて右側2気筒分のクランクシャフトとして配置すると下右のようになり、URSのクランクピン配列になりませんし、1次慣性力も釣り合いません。さらに右側のクランクを手前に90度回せば、URSのクランクピン配列になります。

 左側2気筒のクランクシャフト      右側2気筒のクランクシャフ



 ですからただ、レーシングエンジンにおいて、2本のクランクシャフトを共通にする意味は量産車ほど大きくはありません。URSのクランクピン配列が採用された理由は、1次慣性偶力を小さくするためだと考えています。

 仮に2004年型YZR-M1 (ganriki.net) のケース2と同じだったとすると、バランサーシャフトがなければ、単純に考えて両外側2気筒の1次慣性偶力は180度クランクの250㏄2気筒の3倍になってしまいます。

 また、2006ZX-RRのようなクランクピン配列にすれば1次慣性偶力はさらに小さくなりますが、2次慣性偶力が大きくなりすぎます。
 
 その兼ね合いがURSのクランクピン配列だと考えます。

 なお、URSのクランクピン配列で、2本のクランクシャフトを共通にするために、左右のクランクシャフトを左右対称ではなく、下図のように並べて配置する必要があります。ことも可能です。





 URSのクランクピン配列が 2004年型YZR-M1 (ganriki.net) のケース2と同じだったとしても、左右のクランクシャフトはそれぞれ専用にする必要があります。

加湿器肺

【特集】新型コロナだけじゃない…命を落とす危険もある肺炎「加湿器肺」とは!? お笑いコンビ「メッセンジャー」あいはらさんが一時、意識不明に陥った闘病を告白(読売テレビ) -でYahoo!ニュース

 この記事の中で出てくる「レジオネラ菌」、私が初めて知ったのは1981年でした。バス旅行でラジオ放送を聞いていたら「在郷軍人病」という病名が。legionには「在郷軍人会」という意味があり、その大会で感染者が大量発生したことから、Leginellaと名付けられたのですが、1981年当時は日本語訳の名前で放送されたのです。

 何年か前には、循環型の風呂でも問題になりました。

 私が気にしているのは、夏場に街中等で稼働しているクールミスト発生装置です。装置の管理者がどんな衛生管理をしているかわかったものではありませんから、その場所を避けて歩くか、通らざるを得ないときは、息を止めて素早く通り抜けるようにしています。

 一度、事故が判明すればあっという間に廃れるとは思いますが、そうなってからでは遅いと思います。

MOTO GP公式サイトのリザルト(2)

 ライダーの名前をクリックすると、公式サイトの該当頁に行きます。

ケニー・ロバーツ

500㏄デビューが1978年スペインになっています。その1戦前の開幕戦ベネズエラに0W35に乗り出場しエンジン故障でリタイアしています。

エディー・ローソン
1981年、カワサキKR250に乗って数レース走っていたことが忘れられています。

片山敬済
250㏄デビューが1974年ベルギーになっていますが、1戦前のオランダが正解です。下の方の1974年のレーススタート数の4も誤りです。オランダ、ベルギー、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア、スペインを走った記憶。ポイントを獲得したのは4戦ですが。その他のレーススタート数も1979年(NR500登場等)の数字がないなど間違いだらけ。

高井幾次郎
1978年500㏄スペインGPを走ったことが忘れられています。レーススタート数もデタラメです。

田中健二郎
田中健二郎と田中禎助の戦績のミックスになっています。

伊藤光夫
デビューが50㏄:1962年フランス、125㏄:1962年アルゼンチンになっていますが、50㏄:1962年スペイン、125㏄:1962年マン島の誤りです。レーススタート数もデタラメ。

 他の日本人ライダーについても調べてみましたが、デビューレース名、レーススタート数、いずれも誤りが多く見られました。得点獲得レースのみカウントしているのでしょうか。

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