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JFRMCブログ

レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。

RACERS Volume 48

今回は「ヤマハ2スト並列4気筒の時代 YZR&TZ750/500」です。

 のっけから6-7頁の写真を1978年イギリスGPに間違えていますね。正解は「1979年イギリスGP」です。
 特徴のあるシリンダーヘッド、CFRPサイレンサー、マシン横のスポンサーステッカー等々、当時を知っていたら間違えるはずはないのですが。
  
 10頁上の写真説明、アゴスチーニをP・リードと間違えています。2位入賞したのがリードなので、思い込みでリードと思ったのでしょうか。
 
 14頁下の写真「1979年スペインGP」も
〇黒く塗られたクランクケース
〇タンク塗装
〇前ブレーキキャリパー
から1980年の0W48と思われます。

 もちろん、写真に写っている
〇フラットスライドYPVS
〇ゴムシート(後サスペンションアーム上)
も1980年型の特徴ですが、1979年に用いられなかった保障はありません。
1980年型を確実に裏付けるのは上の3点です。

 これだけでもうお腹一杯ですね。

 ところで、以前のRACERSで1979年型YZR750を0W46としていましたが、マシン名称は0W31
で、0W46は0W31用の改良パーツ開発プロジェクトのコードネームと訂正されています。従来の誤りはライター氏の思い込みによる記述だったようですが、困ったものです。
そんな訳で、
http://www.geocities.jp/noda_keni/y/ow31/ow31.htm
の記述も修正しました。
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SUZUKA Sound of ENGINE

行ってきました。

土曜日は事情で元々行けなかったのですが、天気が悪くて内心ほっとしていました。で、日曜日のみ行ったのですが・・・GPスクエアでの展示も少なく、というか、昨年、パドックで展示されていたTIME TRAVEL PARKINGがそんままGPスクエアに移動しただけ。つまり、昨年のGPスクエアの展示物がごっそり消えていたのです。
当然、ヤマハ、スズキの協力もなし。昨年、展示されていたニッサン、マツダもなし。
ニッサンR382とマツダ787Bは走りましたが・・・
ホンダNSR500(3台)+RC211Vは走りましたが、ストレートを走り抜けたのは2回だけ、つまり3周走ったのみ。

海外からF1マシンを呼ぶために金を使い果たしたのか・・・スポンサーのRICHARD MILLEによるRICHARD MILLEのためのイベントという感が強くなったイベントでした。
昨年、一昨年と購入したプログラムも買わず。とても2000円も払う気になりません。

まあ、入場料+駐車場代としてはした金を払う二輪ファンとしては、3月のファン感謝デーの方をお勧めしたくなる内容でした。無料のファン感謝デーが有料だったとしても。

勘違い記事

RACERS Volume45 92頁に、ヨシムラに関する次の記事があります。
(記事はこちら。http://www.mika-y.com/upload/images/20170607061608.pdf

 「(1978)鈴鹿8耐を制したポップ吉村は、翌’79年、再び日本に帰ってきた。少し前にスズキの設計者・横内悦男(悦夫の誤り)氏との運命的な出会いがあり、すでにGS750、GS1000をターゲットにチューニングに着手していたのだ」

 この記事からすると、ライター氏は「1978年の鈴鹿8耐の優勝マシンはヨシムラ・カワサキで、その後にスズキとの関係ができた」と勘違いしているようです。
 
 また「翌’78年、(ヨシムラが)デイトナスーパーバイクを4年連続で制覇」ともあります。
 
 Wikipediaがあるので、専門外のライター氏でもそれなりの記事が書けてしまいますし、Wikipediaの誤りもそのままになっている例もあります。でも
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E6%9D%91%E7%A7%80%E9%9B%84
の記事を参考にしたのなら、こんな誤りはしないと思いますが・・・

 この頁前後の記事は人間模様に重点を置いたものであることは認識していますが、現実が無茶苦茶で人間模様を描ける訳がありません。

 ライター氏は交通事故、司法問題が専門ということです。
http://www.mika-y.com/

忘れられたヤマハ0W17

1973年、ヤマハは水冷市販レーサー・TZ350/TZ250を登場させる一方、新たに350㏄、250㏄のファクトリーマシン0W16/0W17も登場させました。700㏄/500㏄4気筒プロジェクトはプロジェクト名・0W19で機種記号はそれぞれ0W19、0W20でしたが、2気筒350㏄/250ccもプロジェクト名・0W16だったと思われます。

 250㏄クラスでは1973年第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が
3連勝、第4戦イタリアの事故でサーリネンが死亡すると、シーズン後半からランシボリに0W17が与えられました。
 また、350㏄の0W16もシーズン後半(多分)に登場、ランシボリに与えられました。
 1973年後半、ランシボリが全てのレースで0W16/0W17に乗ったのかどうかは分りませんが、ランシボリは1973年後半、250㏄クラスで2勝、350㏄クラスで2勝しています。

 1974年に0W17は姿を見せず0W16のみが走り、アゴスチーニが5勝、ランシボリが1勝しています。

 1975年には前年の0W16をベースにした0W17(ツインショック)がセコット、高井(シーズン前半のみ)に与えられ、セコットが1勝、そして第6戦オランダで1975年型0W17(モノショック)が登場して第7戦ベルギーで1勝します。

 なお、0W16は350㏄クラスでアゴスチーニ、金谷が各1勝しています。

 こんな戦績の0W16/0W17ですが、
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
では0W17が全く登場しませんし、0W16も1974年のみ6勝したことになっています。

 1972年の水冷YZ634/635(350CC/250CC)も忘れられていますし・・・

ヤマハ 0W23は1974年に1勝したか?

https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
 0W23が1974、1975年に6勝したことになっています。1975年にヤマハは500㏄クラスで5勝していますので、0W23が1974年に1勝したということになります。

 ヤマハ0W23は1974年ベルギーGPで登場しアゴスチーニが乗り2位でしたが、チームメイトのランシボリは0W20に乗りました。次戦スエーデンGPでランシボリが優勝したのですが、ランシボリは0W23に乗ることはなく、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア(最終戦)と0W20に乗りました。つまり0W23は1974年に1勝していません。したがって、同頁中の0W20の優勝回数も誤り。
 詳細はこちら。http://jfrmc.ganriki.net/ow23/ow20-2.htm

「0W23がベルギーGPで登場したのだから、その後のヤマハの戦績はライダーに関係なく0W23によるもの」とヤマハのサイトのライター氏(委託?)が思ったのでしょう。あるいは従来の誤り記事をそのまま写したのでしょうか。

 写真はチェコスロバキアGPでのランシボリ。0W20と0W23の区別がつかない方には無意味ですが。

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