1973年、ヤマハは水冷市販レーサー・TZ350/TZ250を登場させる一方、新たに350㏄、250㏄のファクトリーマシン0W16/0W17も登場させました。700㏄/500㏄4気筒プロジェクトはプロジェクト名・0W19で機種記号はそれぞれ0W19、0W20でしたが、2気筒350㏄/250ccもプロジェクト名・0W16だったと思われます。
250㏄クラスでは1973年第1戦フランス、オーストリア、ドイツとサーリネン+0W17が
3連勝、第4戦イタリアの事故でサーリネンが死亡すると、シーズン後半からランシボリに0W17が与えられました。
また、350㏄の0W16もシーズン後半(多分)に登場、ランシボリに与えられました。
1973年後半、ランシボリが全てのレースで0W16/0W17に乗ったのかどうかは分りませんが、ランシボリは1973年後半、250㏄クラスで2勝、350㏄クラスで2勝しています。
1974年に0W17は姿を見せず0W16のみが走り、アゴスチーニが5勝、ランシボリが1勝しています。
1975年には前年の0W16をベースにした0W17(ツインショック)がセコット、高井(シーズン前半のみ)に与えられ、セコットが1勝、そして第6戦オランダで1975年型0W17(モノショック)が登場して第7戦ベルギーで1勝します。
なお、0W16は350㏄クラスでアゴスチーニ、金谷が各1勝しています。
こんな戦績の0W16/0W17ですが、
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
では0W17が全く登場しませんし、0W16も1974年のみ6勝したことになっています。
1972年の水冷YZ634/635(350CC/250CC)も忘れられていますし・・・
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
0W23が1974、1975年に6勝したことになっています。1975年にヤマハは500㏄クラスで5勝していますので、0W23が1974年に1勝したということになります。
ヤマハ0W23は1974年ベルギーGPで登場しアゴスチーニが乗り2位でしたが、チームメイトのランシボリは0W20に乗りました。次戦スエーデンGPでランシボリが優勝したのですが、ランシボリは0W23に乗ることはなく、スエーデン、フィンランド、チェコスロバキア(最終戦)と0W20に乗りました。つまり0W23は1974年に1勝していません。したがって、同頁中の0W20の優勝回数も誤り。
詳細はこちら。
http://jfrmc.ganriki.net/ow23/ow20-2.htm
「0W23がベルギーGPで登場したのだから、その後のヤマハの戦績はライダーに関係なく0W23によるもの」とヤマハのサイトのライター氏(委託?)が思ったのでしょう。あるいは従来の誤り記事をそのまま写したのでしょうか。
写真はチェコスロバキアGPでのランシボリ。0W20と0W23の区別がつかない方には無意味ですが。
1964、1965年の世界GP250㏄チャンピオンマシン・ヤマハRD56は1966年以降、各国の輸入元等に貸し出されレースに出場しました。市販レーサーとV型4気筒ファクトリーマシンRD05/RD05Aの間を埋めるマシンという位置づけでしょうか。
フィル・リードが優勝した1969年イタリアGP250㏄についてのオートバイ誌1969-10の記事では「~P・リードが、ツインのヤマハ旧型工場レーサーで久しぶりに登場~」とあります。これだけ読むと、リードのマシンは市販レーサーTD2ではなくファクトリーマシンRD56ということになります。
で、ヤマハのGP500勝記念サイトでもリードのマシンはRD56になっています(62勝目という位置づけ)。
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/victories
マシン編の
https://www.yamahamotogp.com/500-victories/bikes?filterby=years&filter=&order=asc
でRD56が優勝した年に1966年があるのは1969年のつもりなのでしょう。RD56は1966年に勝っていません。ヤマハが1966年に250㏄で挙げた1勝はRD05によるものです。
1969年イタリアGP250㏄の画像をネットで探したのですが見つかりませんでした。でも燈台下暗し、私が持っている本にその写真がありました。左コーナーを走るリードを右斜め後方から写したもので、マシンは明らかに右チェーンのTD2(同時に写っているベネリ4気筒は左チェーンで正しく写っているので、ネガの裏焼きではない)。
そんな訳で、1969年イタリアGP250㏄で優勝したマシンはRD56ではなくTD2である可能性が高いと思います。
※「可能性」としたのは写真が予選のもので、レースでは別のマシンが用いられた可能性が否定できないからです。
ただ、件のサイトの他の誤りから推定できるライター氏の仕事ぶりからすると・・・
http://www.suzukacircuit.jp/soundofengine/
SUZUKA Sound of ENGINE が開催されます。スポンサーの関係か4輪中心のイベントになっているのが残念です。ただNSR500等が走行することも今月になって発表されています。昨年の例からもさらに走行する2輪が増える可能性もあります。
私が見に行くかどうかは今のところ未定ですが・・・