レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
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ニューマチックバルブスプリング の末尾に次の文を追加しました。
補足2
「レーシングエンジン徹底研究」(林義正、1991グランプリ出版)に、デスモドロミックバルブ作動系について、次の記述がある。著名な技術者であっても間違えることはある。
「第2の利点は、カム軸の回転変動がきわめて小さくなることだ。通常はバルブスプリングの強い反力を抑え込みながらカム面がバルブリフターをこじり下げるわけで、その抵抗によりカム軸は回転変動を起こしている。カム軸の回転角度で1度くらいの作動タイミングのずれは避けられないのが現状だ。デスモドロミック方式は、これが限りなくゼロに近くなる。」
「第3の利点は、フリクションが大幅に減少することである。普通、シリンダーヘッドを組み上げた状態では、カム軸を回すのにかなりの力がいる。~バルブスプリングの反力による抵抗が原因でそれがエンジンのパワーロスにもなる。デスモドロミック方式では、ヘッドを組み上げた状態で、指先で簡単にカム軸を回せるのだ。かなりフリクションを小さくできるはずで、多気筒になるほど、高回転になるほど、このメリットは大きい。」
「レーシングエンジンにデスモドロミック機構が採用されるのは時間の問題であると私は考えている。」
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1月4日発売のRACERSは、special issueとして、1983年のスペンサーVSロバーツに焦点を当てた記事となっています。ホンダ、ヤマハの日本側の関係者への新たな取材はないようで、スペンサー、ロバーツへの取材+ライター氏の記事で構成されています。
1983年のヤマハ0W70に2種類の後サスペンションがあったことが知られていますが、今回のRECERS 25頁のロバーツ回想記事では「~コースとの相性があるようで、従来のレイダウンとどちらが良いかは毎回両方を試してから決めていた。スパ(注:ベルギーGP)で新しい方を使ったのは覚えている。でも、その次のシルバーストーン(注:イギリスGP)では使わなかった気がする」
とあります。これは
http://jfrmc.ganriki.net/ow70/ow70honbun3.htmで、ロバーツが新型後サスペンション車を用いたのはベルギーGPのみとしたことを一部裏付けています。
一方、29頁のライター氏の記事では「後者(注:新型)がメインで用いられたが、コースによっては前者(注:旧型)も用いられ」とあり、新型後サスペンション車が主に用いられたことになっています。ライター氏がこのように書いた根拠を知りたいところです。
今月号の「風まかせ」の記事です。
〇河崎裕之がヤマハファクトリーを離れ、ヤマハ名古屋提供のTZ750で国内レースを走ったのは1974年ではなく1976年です。その他の記述も1974年と1976年がごちゃまぜになっています。1975年のデイトナ200に河崎が出場しているのですが・・・
〇128頁の写真は1982年ではなく1981年です。
〇高井幾次郎が事故死したのは1983年ではなく1982年です。ですから関連する記述も間違っています。
購入しなかったので、細かいところはチェックできていません。
少し遅くなりましたが、おめでとうございます。
年末~1月2日は実家に行き、両親(80代にしてすこぶる元気)、甥夫婦、姪家族、姉夫婦、甥、姪らと会い、にぎやかな正月を過ごすことができました。
さて、新年早々の記事は、「
明らかにおかしな記述」です。新年早々、小さな記事ですが、ご容赦ください。ホンダRC181の記事も1年放置していますが、後編もアップしたいと思いますので、よろしくお願いします。
前回の記事で取り上げた金谷さんの本です。
この本にサインをいただきました。
'80.9.13という日付は1980年日本GPの前日(土曜)のプラクティスの日です。
肝心の本の内容ですが、どちらかというと「レースに対する心構え」が中心かなと。
もちろん、金谷さんは技術者ではないのですが、「ライダーがこんなことを感じているんだな」ということが分かったように思います。