レーシングマシンについての記事は「その他」にもあります。
1981年型以前のヤマハYZR500の袋井テストコースでの最高速は次のとおり。
エンジンテクノロジーNo20(2002-5月、山海堂)中の記事(塩原正一(ヤマハ))から1981年型以前の数値を切り出したものです。
最近の袋井テストコース。
ストレート(右上から左下に走る)の長さは1.6km程度ですが、最終コーナーの半径は250m程度、第1コーナーの半径は600~700m程度と思われるので、実質的な直線長はポール・リカール(1.85km程度、下図)を少し上回るように思います。
下写真で分るように、現在はストレート終わりにシケイン(下側矢印)が設置されています。また、その手前にも細いシケインらしきもの(上側矢印)もあります。
出典では1983年にコース改修、1988年にシケイン増設とありますが、過去の航空写真を見ると、シケインの位置、形状は何回か見直されているようです。しかし、1981年以前は(少なくとも)最高速に影響するような改修は行われていないようです。
前回紹介した1977年、1980年のポール・リカールでの最高速は次のとおりで、上の袋井テストコースでのYZR500の最高速とほぼ同じ数字です。
500㏄GPマシンが走ったコースで直線部分が長かったのがポール・リカールです。直線の長いコースとしてはザルツブルクリングもありますが、この直線(緩いベンドを含む)は1.4~1.5km程度で、ポール・リカールの裏ストレートの長さは1.8kmとされています。
図等からすると、実際は1.85km程度ありそうです。
なお、この図は最近のコース図に加筆したものですが、各コーナーについては1980年代から少し変更されている可能性があります。
1986年フランスGP500㏄、裏ストレートは56秒あたりから。
1984年フランスGP500㏄、裏ストレートは1分2秒あたりから。
この1984年フランスGP500㏄の予選での最高速測定は
1位 300.1km/h ロン・ハズラム(ホンダNS500)
2位 299.3km/h フレディー・スペンサー(ホンダNSR500)
でした(ライダースクラブ1984-9、枻出版※1)。
GP500マシンがGPサーキットで300km/hを初めて超えたのはこの時ではないかと思います。
ポール・リカールでのそれ以前の記録※2は
1977年
178mph(286km/h) スティーブ・ベーカー(ヤマハYZR500(0W35))
171mph(275km/h) バリー・シーン(スズキRG500(XR14)) 2位かどうか不明
1980年
176mph(283km/h) ランディ・マモラ(スズキRGB500(XR34))
最高速は風向・風速に大きく左右されますので、1977年で1位と2位の差が大きいこと、1980年の速度が1977年の速度を下回ったことも不思議ではありません。
※1海外記事の日本語訳なので、マイル→メートル換算のミスの可能性あり。
※2 MOTOCOURSE 1977-78、MOTOCOURSE 1980-81による。記事ではmphのみ記載されていたが、計測は(フランスですので)メートル表記で、これをMOTOCOURSEがマイルに換算したもの。上の括弧内の数字(km/h)はメートル→マイル→メートル換算結果なので、元のメートル表記から1km/hの差がある可能性がある。
1974年、ヤマハTZ750(694㏄2ストローク水冷並列4気筒)がデイトナ200マイルに登場します。レースは3月10日に行われたのですが、そのクオリファイ(プラクティス)に先立つ3月5日に最高速計測が行われ、ヤマハファクトリーチームの金谷秀夫(TZ750)が191.88mph(308.8km/h※1)を記録しました。
クオリファイの前に行われたこと、そしてその速度から、下図のインフィールド、ストレート終部のシケインは使用されなかったものと思われます。
シケインなし・インフィールドありの1972年の276.4km/h(スズキTR750、ジョディ・ニコラス)から32km/hも向上したのですが、1972年型スズキTR750の最高出力は100bhp※2で、TZ750のファクトリー仕様の最高出力が115PSだったとすれば、この速度差は出力向上とコースの違い※3である程度説明できます。
また、速度差の要因としてタイヤの進歩も考えられます。1974年のクオリファイのトップタイムは2分8.06秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))で、1973年のトップタイム・2分15.70秒(ポール・スマート、スズキTR750(XR11))を7.64秒更新したのですが、このタイム差は出力向上だけでは説明できません。
おそらく、1974年は
1 タイヤが進歩しコーナーリングスピードが向上したこと
2 低速からの加速区間で(タイヤグリップが向上し)全力加速できなかった区間が短くなったこと
3 タイヤ、マシンが進歩し、バンクでの安定性が向上しスロットル開けられるようになったこと
が大きく寄与していると思われます。1、2についてはインフィールドを使用しないのであれば最高速への影響は僅かなものですが、3は309km/hにある程度寄与していたと思われます。
※1 当時のMC誌、AB誌では307km/hとなっていたが、これも例によって1マイルを1.6000kmとしたもの
※2 出典:TEAM SUZUKI by Ray Battersby, Osprey 1982/Parker House 2008
1973年型は107bhp、1974年型は110bhp。
出力測定が日本側で行われたのなら、このbhpはメートル法馬力と思われる。また、変速機出力軸での測定だろう。
※3 下側のベンドを抜けてからの加速距離は2.3kmに及ぶ。また、このベンドも30度程度の曲がりで、しかも半径が大きく10度のバンクだから脱出速度はかなり早いはず。